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第五章 天国と「真の父母」 : 第六節 「真の父母」と国 : |
我々がこれまで、なぜ犠牲になったのでしょうか。それは、氏族の父母になるためです。それは、どれほど素晴らしいでしょう! このようになって、全部これがなくなって統一したなら、何をするのでしょうか。「私は統一したなら、ふろしきを包んで行けばいい」と言うでしょうが、それでなくなるのではありません。統一させるそこで、自分が父母の位置に立つのです。
父母に位置に立てば、どれほど神聖で偉大ですか。「父母はこのように行くのである!」。ぴったり合うのです。父母はこのように行くのが正常です。父母は愛をもって、いつも犠牲奉仕するではないですか。それを思えば、真なる父母になるために生きるというとき、気分がいいでしょう? それは、アメリカもそうなのです。レバレンド・ムーンが、今までアメリカに対してそのように出てきました。愛をもって、アメリカの人たちを一つにするようになるときは、父母の志をもってしたという事実を知るようになるでしょう。そのようになるとき、ここから別れることができない一つの世界と、一つの国が決定されるのです。
ここから父母がこの位置に入ってきてもOK、この位置に入ってきてもOKです。そうですか、違いますか? この位置に入ってきてもOKです。それは、全部神様を中心としてつながった父母の位置として、縦的な心情圏がつながるのです。それを知るべきです。このセンターを通じなくては、つながらないという事実を知るべきなのです。
また、その次には、垂直は垂直ですが、このような垂直になっています。これが夫婦であり、その次には家庭の父母であり、その次は氏族の父母であり、民族の父母です。もっと大きくなります。この言葉は何かというと、一番最初、この「真の父母」の伝統を受け継いだセンターを中心として見るとき、父母は父母ですが、一つは家庭の父母であり、氏族の父母であり、民族の父母であり、国家の父母であり、世界の父母です。あとは、父母権を中心として国がセンターとなり、父母権の国を中心とした世界をつくるのです。
皆さんは、長子権と父母権を受け継いだでしょう? 氏族的メシヤになったからです。そうではないですか? 長子権を受け継ぎ、その次に父母権を受け継ぎ、その次には王権をつなぎ得る国を探すために、このことをしているのです。そうでしょう? 皆さんが韓国を訪ねれば、世界の国は、みな見つかるのです。これが最後です。原理的に、理論的な結論がここに帰着するのです。もうこれ以上ありません。
これから、その位置に土台として立てるものがあるなら、「真の父母」、真の先生、真の主人です。この3人の方です。真の愛を中心とした父母は、真なる先生です。「真の父母」だから、この世の中が知らないことをみな教えてあげたでしょう? 天の秘密、地の秘密をくまなく、みな教えてあげました。これ以上、誰が教えてくれますか? 先生の中の先生です。神様がそうです。神様は、主人の中の主人です。先生も主人の中の主人です。王権を復帰するようになれば、主人の中の主人になるのです。「三大主体思想」とは何かというと、「真の父母」思想、真の先生思想、真の主人思想です。統一教会を中心として見るとき、統一教会は「真の父母」の輩です。
国もそうでしょう? 国にも大統領を中心として系列があります。国家組織を見ると、教育機関の文教部があるでしょう? これは真の先生の輩です。その次に、国家の行政部署は、神経の主人と同じです。これが全部上がるために、行政部署は主人の位置に入らなければならないのです。そのてっぺんにいる大統領が、国の主人。これが「三大主体思想」の中に、みな入るのです。分かりますか?
それゆえ、「真の父母」はいつも縦的な位置に立っていて、その次に教育機関と行政部署は相対的です。これがカイン・アベルです。カイン・アベルと同じなのです。このカイン・アベルが完全に一つになるときは、その王権は永遠不滅の王権になるのです。(アーメン)。何のことか分かりますか?(はい!)。
金日成の「三大主体思想」とは何ですか。自主性、創造性、意識性とか言いますが、それは人間論を中心としたものであって、思想になり得ないのです。神を知らない者が何の……。そこには本体論が抜けているのです。このようなことを知って、皆さんは全部力強く前進しなければなりません。
今、皆さんの目で国を見ることができる時が来たのです。皆さんが国を救うための独立勇士として一線に立つことができる、この驚くべき事実は、歴史を代表して、宇宙史を代表するのです。天がこれを見るとき、どれほど誇らしく、どれほど甲斐を感じるのかというのです。それを知るべきです。何の話か分かりますか?(はい)。
この地上に「真の父母」が出てきたということは、驚くべき事実です。偽りの父母として、このようにしていたものを、全部収拾して、これがこのように出てきたのを半分切って、この基盤を中心としてここからこの反対の父母の門を通じて、全部追い込もうというのです。そうして、地獄に行っていた道を、天上に上がることができるようにするのです。
父母の門を通じなくては、天国に行けないのです。分かりますか?(はい)。キリスト教に父母の門がありますか?(ありません)。統一教会には……?(あります)。ですから、天国に直行し得るのです。その代わり、自分の過去を完全に清算しなければなりません。過去の友達の名前までも、覚えていてはいけないのです。嫁に行った女性たちは、過去の初恋の男性が思い出されてはいけないのです。ゼロの位置に入らなければなりません。「過去に自分がどのように暮らしたか」という思いをする人は、天国に入ることはできません。ゼロの位置に入らなければなりません。
それゆえ、このおばあさんと同じように、あらゆる精誠を集めなければなりません。そこに他のものは何もありません。ただ真の御父母様と神様の思いしかないのです。そこに他のものが混じっては、この直線に乗れないのです。愛の道を行けないのです。そのような課題が残っています。
地上で祝福を受けたといって、そのままで済むのではありません。祝福も、教会の祝福、国の祝福、世界の祝福を経なければなりません。このように3段階を経なければならないのです。なぜそうでなければならないのでしょうか。ゼロの位置に入るために、そうなのです。自分の息子、娘がいるといって、その息子、娘は自分の所有ではありません。ゼロの位置に立たなければなりません。その息子、娘は神様の所有であり、「真の父母」の所有です。