第五章 天国と「真の父母」 : 第一節 「天」の字と「父母」の字のもう一つの意味 :

 天というのは、二人です。仁というのも二人です。二人ですが、二人とはどんな二人ですか。完全な愛を中心として、天地が縦的に一つになり、横的に完全に一つになり得る人間……。その二人ではないですか? 天地調和を成し得る根本は、愛から始まったのです。

 天地間において、天が先か、地が先か? 地天か、天地か? 父母も、父母か母父か? 夫婦も「夫」の字と「婦」の字が逆さまになった婦夫か、正しくなった夫婦か? (正しくなった夫婦です)。地天を願う人はいません。全部天地を願います。
 それゆえ、何が先になるべきでしょうか? 天が先になるべきです。その次には、何になるべきでしょうか? 地が先になるべきです。そして、父母がいますが、父母は、なぜ母が先にならず、父が先になるのでしょうか? そうだといって女性を無視するのではないのです。
 聞いてみなさい。女性も良くなるのです。(笑い)父母は「父」の字が先にならなければなりません。「母」の字をじっと見れば、これはおもしろいのです。じっと見ると、このようにして、このようにして、このようにして、こうなります(板書される)。これは何かというと「女」の字を二つもって逆さまに固めておいたものなのです。分かりますか? そうでしょう? それは本当におもしろいのです。それが「母」の字です。
 女という字は、本当におもしろいのです。これも女で、これも女ですが、これを逆さまにこのようにしておいたのです。女を二つくっつけておいたのです。そうでしょう? 逆さまにもってきて合わせたのです。そうではないですか? それが母です。
 それゆえ、天の心をもった母にならなければならず、地の心をもった母にならなければなりません。言い換えれば、天の心をもった女性になり、地の女性を代表した心をもった女性になって、その二つの心を合わせておいてこそ母になるのです。おもしろいでしょう?
 また、「父」の字を見て……。「エビ(アボジの俗語)」と言うようになると、気分が悪いのです。先生が話すようになると「アバヂ」という言葉をよく使いますが、その言葉は平安道のなまりです。
 「父」の字を見ると、このようにしっかりとしておいたのです(板書される)。これが何か? しっかりと離しておくと「人」の字が二つです。それがしっかりと合わさっているのです。そうでしょう? それは、一箇所にもってきて結んでおいたのです。
 それが何か? 男性は男性ですが、人は人ですが、一人ではなく二人をもってきて結んでおかなければならないのです。それでこそ父になるというのです。それは何かというと、天の人と地の人が結ばれて、一つの行動をすることができてこそ、父になるということです。これを考えれば、おもしろいでしょう?(はい)。
 また、「天」の字をじっと見ると……。それは何か? 天というのは、一人でいるのではありません。二人がいてこそ天になるのです。それゆえ、「天」は二人をもってきて合わせればなるのです。このようになるでしょう?(はい)。これは本当におもしろいのです。
 また、「夫」という字は何か? これがみっともないのです。冠を被って(官職に就いて)天よりも高く上がることです。これは何か? 二人が互いに好きなら、天のてっぺんまでも貫いて上がるということです。それで、夫婦という言葉が設定されるのです。おもしろいでしょう?(はい)。(笑い)
 では、「私はこれほど美男であり、これほど立派な男性であるために、私には父母が必要ない」と言う人がいますか? 「私は男であるために、男である父は必要ない。父が死ねば、私が代わりに父になるために、私が主人になるから、父は死んで母だけ残ってくださいませ」と言うそんな男性がいますか?(いません)。
 また、「私が女なら、うちでは女の家長になろうとするので、母は死んで父だけ一人生きてくださいませ」と言う、そんな娘がいますか?(いません)。いないというのです。では、何がいなければならないのでしょうか。二人がいなければなりません。父母がいなければならないのです。