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第四章 「真の父母」の使命 : 第五節 「真の父母」の愛 : |
皆さんが本当の「私」を見いだしたというときは、神様が自分の心にいて、自分は解放圏にいるのです。本然の神様の愛と、本然的な「真の父母」の愛を中心として、本然的な血統の歴史をつないで生まれたのが、本然的な自分です。その自分を見いだせば、みな成るのです。そこに「真の父母」がいますか、いませんか? そこには、「真の父母」の愛があります。
神様の愛から自分が始まったために、自分を見いだしたときは、自分の中には既に二つの愛の本然相が植えられているのです。それが根になっているのです。自分を神様から離してしまうことができず、「真の父母」から離してしまうことができないのです。その肢体ですが、その肢体となった自分を否定できないのです。何の話か分かりますか?
皆さん、細胞のようなものを御覧なさい。細胞は、葉の細胞や根の細胞と同じなのです。このごろは、細胞を繁殖させて、植物も繁殖させるではないですか。同様です。葉にも根があり、すべてあるということです。
ですから、自分が偉大なのです。神様の愛と「真の父母」の愛を、みなもっているのです。神様の愛と「真の父母」の愛は、宇宙すべての主管性の核です。主体性の永遠なる標準です。愛を中心として、全部主管しようとするのです。
ですから、自分自身がすべての代表になるのです。神様を代表することができ、父母を代表することができ、兄弟がいればお兄さんを代表することができ、弟を代表することができ、お姉さんを代表することができ、妹を代表することができるのです。そのような代表者になり得るのです。そのようになるとき、一族が歓迎するようになっているのであって、けんかしません。反発が起きないのです。吸収されるようになっているのです。言葉は簡単でしょう。これは、原理の核です。そうでしょう? (はい)。
自分を完成しなければならないのです。結局、神様を探し、「真の父母」を探して、接ぎ木することです。すっかり大きくなって、再び生むことはできないので、仕方なく接ぎ木しなければならないのです。それだからメシヤが来るのです。
メシヤとは何ですか? 本然の愛、「真の父母」の愛を、完成した男性として来る方です。本然の理想的な身代わりとして来るのです。「私」という言葉を言うたびに、これを考えてごらんなさい。ですから、解放されるでしょう? そういうものです。サタンから解放、生活圏から解放、血統圏から解放されれば、みな終わるのです。
では、解放されて何をするのですか。悪魔の代わりに神様に仕え、文化圏を形成しなければなりません。「真の父母」の生活圏を形成しなければならないのです。完成したアダムの位置に立つので、生まれた目的を完成するのです。
それゆえ、自分には「真の父母」の愛が宿り、神様の愛が宿るのです。その愛が、自分を完成させることができる調和の根本です。それを言い換えれば、自分には愛があり、生命があり、血統があるということです。三位一体です。