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第四章 「真の父母」の使命 : 第三節 「真の父母」になる以前の過程 : |
人間の堕落によって、偽りの父母が生まれました。それで先生は、サタンを中心としたこの世界の上に、天国の「真の父母」の位置を築くための受難の道を行かなければならなかったのです。それは、父母が復帰しなければなりません。ひっくり返ったものを、父母が全部責任をもって蕩減しなければなりません。
「真の父母」になるためには、カイン世界を愛さなければなりません。このカイン世界は、長男の世界でしょう? カイン世界は、堕落した長男の世界と同じであるために、その世界が反対しても天の愛を尽くしてやったという条件を立てなければ、サタン世界が復帰できないのです。それを知るべきです。
長子を先に愛さなければなりません。原則的にサタンが長子であるために、サタンが、「神様! あなたがアベルを愛するには、長子を先に愛したという条件を立てるべきです。そのような愛を私に見せずには、次子を愛することはできない!」と言うのです。これが「原理的だ」ということです。
ですから、母、エバが行くべき道は、カインとアベルを一つにして、アダムに帰ることです。それゆえ、母がいくら宇宙的な愛を願うとしても、そのように愛してやれないのです。そのような位置にいるのです。
先生は、愛の関係において世界的な記録をもっています。真心においては、天宙史的な記録をもち得る群れが生まれているのです。それは、観念にとどまるのではなく、実際だということを知るべきなのです。事実というものです。歴史的な事実です。サタンにおいては、どれほど脅威であり、神様においては、どれほど希望的かというのです。我々統一教会の未来が希望的であり得るしかないという、このような驚くべき位置にいるという事実を、深く深く感謝しなければなりません。(拍手)
神様とレバレンド・ムーン、神様と「真の父母」が、この仕事を築くためにどのようにしたのでしょうか。鉄条網を貫いて、かき分けていき、築いてきたのです。そこには血痕と涙のあとは言うまでもなく、悲惨な拷問のむちのあとまで残っているのです。そのような過程で開拓したのです。そのような天の父母と、地の父母の心を痛めてはいけないというのが、統一教会の人たちがもつべき心の姿勢です。これが宇宙の宝の倉庫であるということを知るべきです。ここから地獄をなくし、天国をつくることができます。(拍手)
今日、「父母の日」を迎えて父母の勝利圏を宣布するのです。父母の勝利圏を悪魔がどれほど嫌い、神様がどれほど待ち望んだでしょうか! 皆さんの先祖たちと、人類がそれほど待ち望んだ勝利圏を備えるようになり、皆さんにそのまま相続してあげようとするのです。一度も使用してみることができずに、全部子供たちに譲ってやろうというこのみ旨を、皆さんがきれいに受け継いで、大きな水晶にはならなくても、結晶石のような、そのような形を備えなければならないということを知るべきです。
「真の父母」は、二人の方がいなければなりません。二人の方がいなければ、「真の父母」の基準の上に立つことができないです。そして、霊的な闘いに勝利の基準を立てたとしても、地上に実体の「真の父母」が立てられなければ、実体世界で勝利の基準が立ちません。いくら霊界で勝利の条件を成したとしても、地上に「真の父母」が立てられなければ、その霊的世界の足場に該当する足場を、この地上に築くことができないのです。
それゆえ、これから来られる「真の父母」は、このために命を捧げて、地と天に代わって闘っていかなければならないのです。このような闘いの期間が、40年期間だということを我々は知るべきです。
では、この40年期間に来られる「真の父母」は、どのような闘いを経なければならないのでしょうか。まず、霊界で霊的な試練を経なければなりません。その次には、地上で実体的な試練を経なければなりません。そのような中でも、倒れずに中心をもって立ち上がってこそ、初めて霊肉合わせて「真の父母」の因縁を立てることができるのです。すなわち、六千年の摂理歴史の希望を成すことができるのです。
我々は、1960年に「父母の日」を設定しましたが、その日はどのような日でしょうか。霊肉合わせて真なる勝利の終点をつかむ日であり、「真の父母」の理念が出発した日です。それで、その日は一日にすぎず、その日の因縁は部分的な因縁にすぎませんが、この因縁は、天宙史的な因縁を経ていくでしょう。
そして、神様は、その日を起点にして、霊界と肉界で同時に計画を実践なさることができたということです。すなわち、霊界と呼応し得る基盤、初めて神様が闘うことができる基盤が築かれたということです。このように勝利の基盤が築かれたために、ここに一致する家庭的な基盤、氏族的な基盤、民族的な基盤、国家的な基盤、s快適な基盤のみを築いておけばいいのです。
イエス様が、イスラエル民族の反対で、全体的な使命を完成なさることができず、楽園に行かれて霊的にイスラエルを収拾して、霊的な父母の立場に立っておられたのと同様に……。世界的な勝利の版図を地上に築くことができる路程とは、どんな路程かというと、4年路程です。この4年路程に霊界と肉界が一致して、勝利の起点を立てる日には、全世界の人類が、楽園以上の霊界で行軍することができる時代的な恵沢圏内に入るというのです。
ところで、このような歴史過程を経ていくにおいて、来られる「真の父母」は、個人的な十字架を背負うべき段階から、世界人類の十字架を代わって背負うべきであり、家庭的な十字架を背負うべきで段階から、世界的人類の十字架を代わって背負うべきであり、氏族的、民族的、国家的な十字架を背負うべき段階でも、世界人類の十字架を代わって背負うべきなのです。
イスラエル民族の歴史を見ると、ヤコブはエサウとの個人的な闘争で勝利したために、個人的な復帰の条件を立てることができました。そうしてから、ラバンの家に行き、天が協助する中で家庭的な戦いで勝利したために、家庭を見いだすことができました。その後、ヤコブの後孫は、民族を形成するために、サタン世界であるエジプトに入りました。彼らは、そこで天の協助で救い出され、カナンに入ってカナン7族を滅ぼすことができました。このようにイスラエル民族は、カナン復帰路程40年を経ながら、初めてサタン世界に対して攻撃することができたのです。
40年荒野路程以前には、3日路程がありました。イスラエル民族は、3日路程を経たのちに、初めてカナン復帰をすることができたのです。そして、イスラエル民族は、カナンに入っては、また40数を探し立てなければなりませんでした。
復帰摂理がこのような路程を経てきたために、今まで先生も40年路程を経たのち、3年路程を歩まなければならず、4年路程を歩まなければならないのです。3年路程と4年路程を合わせれば、7年路程になるのです。
このような過程を経てこそ、初めて復帰歴史を終結し、天の主権を立てることができるのです。イエス様も、本来は33歳から7年路程を歩んで、神様が願う父母の基準を立て、そこから万物復帰の基準を立て、40歳にすべてを終結して、天のみ旨を成すべきでした。これが、イエス様の使命でしたが、イエス様がこのみ旨を成し得ず、十字架で亡くなることによって、このみ旨はそのまま残るようになりました。
それで、再び来られる「真の父母」が、内的・外的な闘いに責任をもたざるを得ないので、40年準備期間、あるいは、闘争期間を経ていくのです。それは、外的には40年準備期間でしたが、内的には闘争期間であったのです。こうして、霊的に勝利の基盤を築いて、初めて地上に霊肉合わせた実体的な基盤を築くことができる土台を備えたのです。
「真の父母」が中心になって3年路程を経て、万物復帰の期間、すなわち、四方性を備えるための4年路程を経なければなりません。それで、7年路程として蕩減復帰を終結していかなければならないのです。
「真の父母」を探すまでの3年路程、4年路程、40年路程は短い路程ですが、歴史的なすべての悲しみを全体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な無念さを総体的に蕩減復帰する期間であり、歴史的な十字架を全体的に蕩減復帰する期間です。歴史的なすべての悲しみと苦痛と無念さにも屈服されないという、絶対的な基準を立てずには、「真の父母」の日、「真の父母」の勝利の日は、迎えることができないのです。
天に代わり、「真の父母」の因縁に代わってみ旨に責任をもち、奉ってきた我々統一教会は、それでこのような試練を自ら招いて、受けていっているのです。
その過程でサタン世界と分別された自分を立て、「真の父母」が勝利の一つの手本を取って、サタン世界を審判し得る真の子女の基準を立てておかなければなりません。そのように、氏族、民族、国家基準を立てておかずには、「真の父母」に対する本然のみ旨を地上に成すことができないのです。
この期間に私と共に闘っている皆さんは、「真の父母」の個人的な身代わりであり、家庭的な身代わりであり、民族的な身代わりであり、国家的な身代わりです。このような父母の身代わりとして、今まで韓国各地へ出て闘っていたのです。今は、世界的な舞台向かって出て、責任をもって闘わなければならないのが皆さんの責任なのです。
このような観点から見るとき、今までの霊界と肉界の悲しみとは何でしたか。本来は、「真の父母」がこの地に現れれば、その日から天地が平和を謳歌すべきであり、全天宙が幸福圏内に入るべきであり、神様を中心に地上天国が成されるべきです。
私が「真の父母」を宣布するまで、どれほど苦労し、悪口をどれほど聞き、どれほど監獄生活をしましたか。6回も監獄に出入りし……。こうして今年に入って「真の父母」を宣布したのです。ですから、真の御父母様であられます。ですから、世界で最高にかわいそうな王の中の王が、文総裁です。お母さん、お父さんが、どうのこうのと言いますが、一番かわいそうなの人は、文総裁です。
先生が世界のために、どれほど多く投入したかというのです。血涙をどれほど注ぎ、汗をどれほど流し、どれほどため息をついたでしょうか。御飯のために、出世のために、そうしたのではありません。地上生活、天上生活、神様を解放するためです。このような人は、歴史時代に、文総裁以外にはいません。「真の父母」以外にはいないのです。
そのような背後の歴史をもっているのです。それが観念だけではありません。実戦舞台で実際圏を形成するにおいて、それ以上の基盤を築いてきたために、世界万国が粛然と頭を下げ得る段階まで来たのです。