第三章 愛と結婚 : 三 祝福結婚式は神様の愛の伝授式 :

 統一教会では、結婚することを「祝福」と表現します。

 祝福は真の父母と真の子女が出会い、創造目的を成就することを意味します。

 祝福とは何かというと、神様と共に一つになることです。神様と一つになると、全体をもつことができます。神様のすべてのもの、主体がもっている全体をもらうことになるのです。

 皆さんは今まで、真の父母と完全な因縁を結ぶことができませんでした。ですからその因縁を結ぶために、してあげるのが祝福です。

 祝福は天国の門を開くことであり、子女と共に入るのです。

 この世には大勢の人がいますが、大きく二つに分けてみると、男性と女性に区分されます。この人たちが一つになることのできる秘法を模索するのが、私たちの根本目的であるのです。今までそのような一つの結実的な家庭の起源が出てこなかったので、私たちはそれを模索していくのです。そのような起源が現れて種を蒔くと、新しい木になるのです。これが祝福結婚式です。

 祝福結婚式は、単純に男女が出会って一つの家庭を成す婚礼式ではありません。今までの結婚式は自分を中心としたものでしたが、私たちの結婚式は、神様に喜びを帰すほどの内容をもって歴史を蕩減する貴い条件として、聖なる雰囲気をもって盛大に挙行されなければなりません。私たちの結婚式とは、アダム・エバの堕落によって始まった神様の恨みを解怨してさしあげ、イエス様が成すことのできなかった新郎新婦の基準に通ずることであることを、原理ははっきりと説明しています。

 神様の摂理で信仰を立てたとしても、神様の子供として復帰させるためには接ぎ木しなければなりません。

 もう一度生まれなければならないということは、堕落したアダム・エバの後孫である父母の血肉を通してもう一度生まれなければならないというのではなく、堕落と関係ない父母の血肉を通してもう一度生まれなければならないということです。そうせずには神様の元に帰ることができません。罪の根本はアダム・エバから始まったのでこれを踏み越えて、すなわち原罪と因縁のない立場で生まれたという資格をもたずには、神様のそばに帰ることができないのです。

 重生する(生まれ変わる)には、アダム・エバよりできが悪くてはできないし、また根本の復帰もできません。重生するにも個人が重生しなければならないし、家庭、民族、国家、世界が重生しなければなりません。この事実を、今日のクリスチャンたちは知らずにいます。

 八十歳を越えたおばあさんたちも、祝福を受けずに死んだなら天国に行けないという事実を知っているので、死にゆく最後の瞬間にでも何千里離れた所に男性がいたり、何千里後ろに男性がいたとしても、二人の糸で結んで祝福を条件としてだけでも受けたいというのです。祝福はこのようになっています。先生は、このことをやり遂げなければならないので、運の悪い人です。

 真の父母というのは、完全な男性と完全な女性ということです。縦的、横的90度になった男性と女性ということです。それで先生が、これを接ぎ木するために青年男女を集めて頭を切り捨ててしまって、母親の芽と父親の芽をもって植えるのが祝福です。

 祝複式は正に愛の伝授式です。神様の愛をもって父母が生きるように、皆さんも父母の愛を神様の愛の代わりに受けて、「このように生きよう!」という人の伝授式が祝複式だというのです。神様の愛を父母から受けるのです。ある名の知れた人から受けるのではありません。それは天使長がしてくれる結婚式です。名の知れた人が一人で前に立ってしてくれる結婚式は、みな天使長から受ける結婚式です。

 血統が違うということは、父親が違うということです。ですから父親の違う血統をもって生まれた人間は、本来堕落しなかった本然の父母によってではない罪を、蕩減することができません。ですから今日まで、歴史は堕落しない始祖になり得る権利をもってその一人の方が来る時まで、宗教の理念を中心として連結させてきました。

 祝福を受けたということは、メシヤが二千年間の苦労によって地上に基盤をつくり、選ばれた民族と教団と自分の氏族を中心として、新郎新婦の名前によって出発できる時が来たということです。皆さんは氏族的なメシヤになることができるでしょうか。先生と父子の因縁を結んだので、サタンもどうすることもできません。このように祝福は、本当にすごいことです。

 天宙主義とは、どのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局この二つの主義は父母の主義です。これは私たちの家の主義であり、私たちの国の主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落しなかったなら、世界は誰の主義になるでしょうか。アダムの主義になるはずです。そのアダム主義がすなわち、真の父母主義です。父親母親主義なのです。ほかにこれ以上の思想はあり得ません。ですから統一教会は心情的な問題を、本然の理想的な家庭の枠の中で、真の父母という理念を中心として天宙主義とつながるようにしなければなりません。このような理念で制度化された家庭の因縁が残っている限り、滅びることはありません。滅びてはいけないというのです。

 天宙主義とは何でしょうか。家庭において言えば、自分が暮らしている家庭が金銀財宝でぎっしりと詰まり、それでも余りがあるとしても、それによって生きるのではなくて、それを忘れて、いつでも神様の愛によって暮らすことができるそのような家庭です。息子のものは父母のものであり、父母のものは神様のものとして、そっくりそのまま連結できなければなりません。

 真の家庭主義とはどのような主義でしょうか。真の家庭主義は神様の愛主義です。愛がなければいくら世界一だといって胸を張って歩き回っても、その人は不幸な人です。真の家庭主義は、父母が行けば息子、娘は父母の後に永遠についていく主義、また兄が行けば弟が永遠についていく主義、弟が行けば兄が永遠についていく主義です。ですから弟の国があれば、兄の国がついていき、兄の国があれば、弟の国もついていくと言わなければなりません。