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第三章 愛と結婚 : 二 男女の愛、互いが必要とする愛 : |
成長の中で最も花のような時、最も美しい時が青春時代です。その青春時代の姿が最高のつぼみのような時期です。それをしっかりと愛することのできる人がいるなら、その人は神様の家の奥座敷にでも招待される人です。そのような愛を授受することのできる男性と女性は神様の福を受けることができ、神様の奥座敷までも招待されるはずです。
人間の幸福とはどのようなものでしょうか。お金が有り余ってダイヤモンドを体に着けると幸福だと言えるのでしょうか。本当の幸福とは相対者と共に愛によって笑い、歌ってささやくところから見つけることができます。そうできる人は幸福な人です。愛する恋人からささやく言葉を聞くことのできる人は、幸福な人だと言うことができます。ほおをつけて愛をささやくことは、ちょうど夢を見るような幸福感を感じることができるからです。幸福な時は年齢的に見る時、若さが最も華麗に咲く時だといえます。愛によって力いっぱい膨らんで一つになることのできる時が、青春時代です。
自分の一生一代に男女間で愛する愛よりも、世界を愛し神様を愛し人類を愛したあとで自分を愛することのできる、そのような愛をもった相対を迎えようとする人が、理想的な人です。
女性にとって本当の幸福は、愛の主体者に出会うことです。
男性が一人でいくら愛を探しても、その人は狂った人としか思われません。
男性と女性がいくら素晴らしいといっても、愛がない時は意味がありません。
男性と女性は、生理的にみな反対です。女性は一方的なのに比べて、男性は三方、四方的です。また女性は家にばかりいますが、男性はあちこち世の中を歩き回ります。このように性格がみんな反対です。このような主体的な男性と相対的な女性が、何を中心として一つになるのでしょうか。愛を中心として一つになるのです。人間と神様を一つにするのも愛です。
神様は愛の理想完成のために人間を創造しました。そして人間と神様の関係は、最高の愛を中心とした主体と対象の関係です。では人間はいつ完成されるのでしょうか。男性も女性も愛の因縁を結んで愛の価値を知った立場に立った時、初めて完成されます。
ある男性がハンサムで健康な人だとしても、女性がいなければ意味がないのです。自分の容姿や健康に酔って生きる男性は、どうしようもない存在であるだけです。そのように自我に陶酔して回っていくこの世を改善して、変化させていくのが神様の摂理だったということを知らなければなりません。
この世で最も良いものとは何でしょうか。男性には女性、女性には男性ではないかというのです。男性が好きな愛は男性のものではなく、女性が好きな愛も女性のものではありません。そうでしょう。一人でいる時、愛したい気持ちになりますか。
男性は神様の愛を中心として女性を愛するにおいて、「完全に愛した。最初から最後まで永遠に変わらず愛した」と言える立場に立たなければなりません。また女性はそのような立場に立つために自分の体をしっかりと封じておかなければなりません。そうして春という季節に、天地の調和を合わせ、そこに和合して新しい人生を出発しなければなりません。これを、しっかりとしなければなりません。
皆さんは花の中で、美しい花は何だと思いますか。皆さんはどのような花が好きか分かりませんが、先生はラッパのような形をした花が好きです。なぜかと言うと、ラッパのような形をした花は香りを遠くまで漂わせます。ラッパのような形をした花は深い愛を意味します。ラッパのような形をしていてこそ、香りが遠くまで広がります。ですからラッパのような形であるほど香りが多く出ます。ですから女性が花であれば、深い愛の心情をもっていなければなりません。美しい香りをもった花は万民が喜びます。そしてゆりは単調ですが優雅な味があります。清く優雅なゆりの花は、葉なのか茎なのか分からないように同じ色で咲いているのを見ると、感傷的で情緒的な花だというのです。そのように結婚前の女性は、水仙、またはゆりのようにならなければなりません。優雅で清い花にならなければなりません。
いくら美しい娘にも、思春期はたった一度しかないのです。その時は花の中の花であり、一生で最も貴い時なのです。それにもかかわらず「私一人で生きるわ」と思っている女性がいるでしょうか。その人は女性ではありません。また男性の中でも見てくれの悪いところのない、これ以上良い時はないという青春の時に、自分一人で生きると言う者がいるでしょうか。そのような時には、必ず相対を探すようになるのです。誰に似てそうなのでしょうか。神様に似てそうなのです。人生の最も貴い時である思春期の時に、相対を探そうとするのは男性も女性も同じです。
男性はなぜ生まれたのでしょうか。男性の多くが自分一人で生きることができるので、そういうことに関心がないとも言いますが、男性は女性のために生まれたというのです。女性がいなければ男性は必要ありません。自分のために生まれたものは一つもないというのです。
私たちの五感を見てください。私の目は見るために生まれたのでしょうか。鼻や耳、口、手もすべて相手のために生まれました。五感を総動員して集中できるその力が何かというと、真の愛です。目、鼻、耳、口そして手は、真の愛のために生まれた真の愛の道具です。
女性にとって最も貴いものとは何でしょうか。男性です。どのような男性が必要でしょうか。立派か立派でないか、体が自由か不自由かが問題ではなくて、その男性から価値のある愛を見つけ出すことができるかどうかが問題なのです。
男性の心の中には神様が愛される女性がいて、女性の心の中には神様が愛される男性がいて、共にたたえるようになる時には神様もそれを見て喜ばれるので、万物も互いに喜ぶようになります。彼らが抱擁する喜びの内容が、天と地と共に喜ぶ価値になります。男性と女性が互いに好んで抱擁するそれ自体が、宇宙が一体を成す立場になります。神様の理想の中で成される創造本然の姿が、そうです。
本来、男性が生まれた本当のみ意はどこにあるのでしょうか。女性のために生まれたということを否定することができません。反対に、女性は女性のために生まれたのではありません。男性のために生まれたという事実を本人が確信できない立場で、問題が起きるのだということを、私たちは知らなければなりません。これを天地創造の大主宰であられる神様が創造の原則とされたので、その原則に従わずには善であり、真であり、幸福であり、平和な世界、または愛と理想の世界に入ることができないのです。
この世に多くの男性がいるとしても横目で見てはいけません。貞操は生命より、もっと尊いものです。夫が愛することができ、息子、娘が愛することができ、国が愛することができ、世界が愛することのできる歴史の道が、女性によって開かれるというのです。このような女性の美しさと高貴さと情緒的な伝統が輝くことのできる基準をつくっていく厳粛な課題の前に、皆さんは真実と真の姿でいる誠心を尽くさなければならないのです。
最も花のような時期、花がさっと咲いた青春時代がいつかというと、思春期の時です。その時期がすなわち18歳から24歳までの7年間です。この7年間は人生に二度とない花のような、愛の花が咲く時期です。一度しかない花のような時代が、どんなに貴いでしょうか。
蓮の花を知っているでしょう。つぼみは何十もの花びらでしっかりと包まれていて、それを簡単につぶすことができないようになっています。このように、男性も女性も同じです。皆さんの赤い愛、黄色い花のようなその愛のつぼみを、いつぱっと咲かせるのでしょうか。天地の調和の中の美が最もよく現れる時が、青春の時期です。人間として見る時も最高に咲く時です。神様の傑作品となり、最も中心の絶頂として光る期間が青春の時期ですが、その時に神様の祝福の中でぱっと咲かなければならないでしょう。
青春時代に純潔を失ったアダムとエバの恨みを踏んで蕩減することのできる貴い時である思春期に、純潔を汚してはいけません。その純潔を清く大切に保存して、「千代、万代一人で行っても愛が蹂躙されることは絶対にあり得ない」という操と決意をもたなければなりません。
青少年として堕落して汚れず、染まらずに、聖なる純潔を大切に保管して、これをどこにもっていくのでしょうか。天が最も喜ぶことのできる祭壇に掲げて神様が喜ぶ、そのような純潔をもった男性と女性が出会って一つに結ばれる貴い基台が、新郎新婦の出会う場にならなければなりません。