第三章 愛と結婚 : 一 真の結婚は宇宙的合一の愛を成すこと :

 結婚はなぜするのでしょうか。神様の姿に似るためです。神様は二性性相としていらっしゃる方であり、各一性が合体化した一体的な存在であられ、神様の分性的な人格が男女なのでこれらが合成一体化して種のようになって、神様の本性の立場に戻らなければなりません。

 結婚の最高の神性を私たちは謳わなければなりません。男女が愛することのできる道は結婚生活です。そのように一つになることによって誰に似るのでしょうか。神様に似るというのです。男女が一つになってこそ、人を御自分の形状どおりに造られたと言われる神様に似るのです。そうしてこそ神様が臨在されるのです。

 男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。二人が合わさって調和し、平行線を成さなければなりません。

 男女が合わさることは、天地が合わさることです。

 男性と女性が互いに好み合い抱擁するそれ自体が、宇宙が一体を成した立場です。神様の理想の中で成される創造本然の姿は、そのようなものです。

 結婚は、なぜするのでしょうか。世界を愛する訓練を受けるためです。また万民を愛することのできる資格をもつためです。

 結婚の目的は、男性と女性の心の世界を一致させようとすることであり、男性と女性の愛の完成のためのものです。それで結婚したということは、そのような証拠を見せて宣布をすることです。結婚生活を通して愛の完成と心の完成を成したなら、家庭の理想を実現したと言うことができます。それで死ぬ時これを成したなら、間違いなく天国に行くというのです。

 結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのでしょうか。結婚は愛を探していく道だからです。愛する道、生命を創造する道です。男性と女性の生命が一体になる道です。男性と女性の血統が混合されるところです。結婚を通して歴史が生まれ、ここから国が生まれ、理想世界が始まるのです。

 結婚は誰のためにするのかといえば、人類のためにするのであり、人類の共同利益のためにするのです。ですから結婚は世界を代表したものです。その男性は世界を代表した男性であり、女性もまた世界を代表した女性です。では、どこから出発しなければならないのかというと、世界を代表した立場から出発しなければならないのです。結婚する意味は、人類が公的に願っているみ旨のためのものなのです。

 妹のように育て、妻のように愛し、母のように仕えてあげるという心をもつことが必要です。愛は妹から、すなわち妹として愛することを始めとし、妻として愛さなければならないし、妹、姉、新婦、母のように愛さなければなりません。そうしてこそ人間が堕落したことによって失い、神様が愛することができなかったものをすべて復帰することができます。

 国を愛するためには何を愛さなければならないでしょうか。まず男性は一人の女性を、この国の代表的な女性だと思って愛せる者にならなければなりません。また女性は男性に対してただ一人の男性としてではなく、全世界の男性の中で代表的に選び出した人だと思うのです。このように代表者の立場に立った男性と女性が合わさって家庭を成すようになると、この家庭は天の国の家庭になるのです。

 女性にとって本当の幸福は、愛の主体者に出会うことです。愛は一人では感じることができません。幸福も同じです。相手と同じ相対関係を結びながら互いに感じ、愛することのできるとき真の幸福を感じるのです。

 結婚する時はその男性がハンサムだといって喜んでいたのに、その男性が一週間後に事故に遭って体が不自由になった時、離婚しようとするのは真の愛ではありません。それは偽りの愛です。真の愛は絶対的であり、不変であり、永遠なのです。

 結婚は私のためにではなくて、相手のためにするという信条をもたなければなりません。結婚を、立派な人、きれいな人としたいというのは間違った考えです。人間は他のために生きなければならないという原則を知ったなら、結婚も相手のためにするという考えをもたなければなりません。いくらみすぼらしい人でも、美人よりもっと愛そうという信念をもつのが原則的な結婚観です。人間として生まれて相手を神様のように愛し、人類のように愛し、この世界の誰よりももっと愛することができるという考えに立たなければ、天の国に復帰することはできません。一人の男性として一人の女性を愛することを知らなければ、神様と人類を愛することはできません。

 結婚とは幸福の宮殿のドアを開けて入っていく儀式だと言うことができます。したがって、結婚は人倫の大事なのです。愛は時空を超越し、人間史において最も偉大なものであり、結婚はそのような愛を表し、確認する儀式なのです。

 結婚する時は、美人の夫になろうと思わないでください。醜女の夫になり、誰よりも立派に生きる夫になると言わなければなりません。そしてこの世のどのような美人も敬うことのできる、そのような夫にならなければなりません。そのようにすることのできる観をもって、女性に対さなければなりません。

 どのような妻、どのような夫に会って結婚するのでしょうか。最もみすぼらしい人に会って、烈女になって愛そうとする原則を立てて結婚し、暮らさなければならないということを知らなければなりません。愛の度数が高いほど、無限の宇宙の舞台で活動することができます。

 人間において、愛は永遠なものであり、二つでなく一つです。男性と女性が愛によって結ばれると地上で百年偕老しなければならず、死んでも永遠に共に生きなければなりません。体は二つだけれども、一つになって回ることによって一体になるのです。二つの体が一つになれば、神様と共に回るようになり、愛の四位基台を成すようになり、それがすなわち愛の理想世界なのです。そこには偽りの愛が侵入することができず、ただ真の愛のみが存在できるのです。

 個性完成、相対完成を成したのちに神様を中心とした愛によって公認されてこそ、本当の理想が成されます。

 新郎新婦はお金や権力、名誉を中心として一つになるのではなく、神様の本然の愛を中心として一体にならなければなりません。

 神様の最高の傑作品として造られた美しい男性と女性が、神様を中心として愛することができるなら、それは最高の愛であり、超越的な愛であり、この世的な愛ではありません。その愛は最高に美しい愛であり、愛の中の代表的な愛であり、永遠に輝くことのできる愛です。

 真の愛の味を感じるためには理想圏をもたなければなりませんが、男性には女性が必要であり、女性には男性が絶対的に必要です。真の愛のための絶対的な男性と女性は、一心に努力することによって結ばれます。一つに結ばれた時は、神様が二人の中に臨在されるようになることを知らなければなりません。

 全世界の人種が一つになるための最も早い近道は、国際結婚しかありません。二つの全く違う文化圏と環境から選択された男女が、神様の愛によって一つにならなければなりません。これが完全な調和と統一です。このような偉大なことを成就するために私たちは、巨大な愛の力を見つけなければなりません。最高の愛のみが国境を越え、人種の境界を越え、文化の境界を越え、知識の境界を越えるのです。

 神様の愛と人間の愛は、本質的に同じです。愛は一つになろうとするものです。男女が互いに慕い合う理由は、男性は女性、女性は男性を通してのみ神様を所有できるからです。愛は、互いを好むことです。

 結婚しない人は、天国に絶対に行けません。結婚しない人には、天国は絶望の美しい山河です。寂寞とした山河は希望がありますが、絶望の山河は希望もない状態ではありませんか。

 男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。自分という存在を主張するところには、神様が共にいらっしゃるはずがなく、他人を尊重する時に、神様が共にいらっしゃいます。原則的で原理的な思考によって、私たちはニ本の足で歩いているのです。

 女性は男性に会うために生まれ、男性は女性に会うために生まれたのです。それが最高の真理です。それで、このような原則に従って祝福圏を探していかなければなりません。最高の真理圏を離脱するのは、最高の悪です。

 韓国の伝統婚礼を見ると、互いに向かい合って大きなお辞儀をします。どうして大きなお辞儀をするのか知っていますか。互いに「ため」に生きようと大きなお辞儀をするのです。互いに「ため」に生きなければ愛は逃げていってしまいます。

 韓国の民法では同姓同系の結婚を禁じ、異族結婚を奨励していますが、これは統一を思慕する民族だからそうなのです。