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第二章 愛の実際 : 七 兄弟の愛 : 1.兄弟愛は万民同胞愛の模型 |
兄弟をなぜ与えられるのでしょうか。兄弟がなぜ必要なのかと言うと、男性は姉や妹を見ながら「お母さんはこんなふうに育ったのだなあ!」ということが分かるのです。そこに母親が育っていくのを見るのです。また女性は、兄や弟が育っていくのを見て、父親がそのように育ち生活してきたのだという内容を見るのです。それが兄弟愛だということを知らなければなりません。そのように育って一つになるというのです。ですから兄弟を愛さなければならないでしょうか、愛してはいけないでしょうか。 兄の立場で妹を愛し、妹の立場で兄を愛するのですが、ただ愛するのではないのです。必ず父母を介在させて、幼い時父母の懐で育ったことを重要視しながら愛さなければなりません。そうしてこそ、大きくなりながら共に上がっていくのです。小学校、中学校をずっとそのようにして上がっていくのです。
この世をいくら行ったり来たりしてみても、家庭にある兄弟の愛、血を分けて生まれた兄弟愛のようなものはないのです。社会に出ても自分の兄弟より近い人がいるでしょうか。近くなったとしても別れるのです。
なぜ兄弟が必要でしょうか。縦横を中心として連結されるのが兄弟です。アダムとエバを東西とすると、神様とアダム、エバは縦的な関係です。これは平面にしかなりません。ですから横的な基準が必要で、前後が必要です。家庭愛を超越できるのは兄弟しかありません。万民同胞愛という言葉と同じです。それがあって球形がなされるというのです。
同胞愛、兄弟愛をもって世界を抱いてこそすべてが理想的な球形になるのですが、ぶつかっても衝撃がないのです。そしてこそ初めて、神様が考えたすべての実体がここに来て結実されるのです。神様の子女の理想がここに来て結実されて合わさることによって、子女の愛の結実体になるのです。その次に、兄弟の愛の結実体、夫婦の愛の結実体、父母の愛の結実体になるのです。無形の神様が創造当時に構想した実体をすべて成したなら、神様と上下・前後・左右が一致できるのです。
兄弟を通して国民が形成され、人類が形成されるのです。兄弟は前後を表示するのですが、それが肉になるのです。平べったいものだったのですが、肉が付いたのです。そこから円形が生まれるのです。ですから円形をつくるのが兄弟であり、国民なのです。兄弟が拡大されて国民になるのです。
兄弟愛というものは世界愛と通じるのです。たくさんの兄弟が育つ家庭は、世界の人類を抱き、理想的な天国、地上天国と天上天国をつくるモデルのようなものです。ですから兄弟は、ここで拡張されるのです。
兄弟が多ければ、御飯を食べるにしても、一つの器で二人で分けて食べなければならないのです。御飯が一つしかないと言ってけんかをするのではないのです。兄弟が多くて生活が大変でも「私がひもじい思いをしても分けてあげなければ。弟にあげなければ……」このような愛の心をもてば最高だというのです。