第一章 二十一世紀は海洋の時代 : 一 海は未来の人類の宝庫 : 2. 海底開発、無限な資源がそこにある

 海は本当に神秘的で、無限の宝庫の内容をもっているということを知らなければなりません。

 海を好きならなければなりません。開拓しなければなりません。陸地の三倍もある海を無視することはできません。今後、誰が海底に眠っている水産資源を開発するのでしょうか。地上には金銀、石油があるといいますが、海は陸地の三倍なので、その三倍が埋まっているのです。今からその開発に着手しなければなりません。統一教会員は家を売ろうと何をしようと、どのようなことをしてでも水域を確保しなさいというのです。海岸の土地は安いのです。島のような、そのまま主人として振る舞うことができる所がいくらでもあるのです。そこに水産事業の基地をつくれば、その基地に数百隻の船が来るのです。国の検問所をつくれば、魚にも税金をかけることができるし、いくらでも生きていく方法を見つけることができます。そのような希望があるのです。

 地球の金銀財宝の多くは海底にあります。海の中にたくさんあるのです。先生はそこに関心があります。ほかの人が手をつけたものは欲しくありません。海底のすべての金銀財宝をいくらでも掘り出すことができるのです。最近は科学が発達したので、島から海の底に何十里もの穴を開けて、どのようなことでもすることができます。ゆえに、海を誰がつかむのか、これが問題です。

 「海洋鉱山を掘らなくてはならない」。私はそのようなことを考えています。皆さんができなければ、私が先頭に立ってしようと思っています。私が連れていって掘るのです。

 海に行ってみると、海は単調です。しかし、その内容はどれほど複雑か分かりません。また、資源的に見ても、陸地よりも多くの資源をもっています。そこには無尽蔵の宝があります。そこには人間の好きなあらゆる宝物が沈んでいます。このような海を所有しようとすれば何が必要でしょうか。アメリカの開拓時代に、西部の鉱山を見つけるために危険を顧みずに冒険したことを考えてみてください。その時、冒険的で勇猛だった人にそれを所有することができる特権があったように、冒険の山を何度も越えていかなくては宝物を手に入れることはできません。今までは、船が行ったり来たりするための航路を手に入れる争いをしてきました。海の中のものを所有するための闘争はしなかったのです。

 今後、海の主人になる人は誰でしょうか。地球に大変動が発生すれば、海の中に陸地が発生し、陸地が海になるかもしれません。太平洋の真ん中にアメリカよりも大きな陸地が生まれれば、その土地は誰の土地になるのでしょうか。そのようにならないとは言い切れません。いつそのようになるかは誰も知りません。海の底だからといって火山脈がないわけではありません。それで「世界の二百海里以内はどこも私のものだ」と主張する人がいればいいのですが、そのような人はいません。しかし、間違いなくその時が来るはずです。海を中心として闘う時代が来るのです。その時に海を所有することができる人は、勇猛であり開拓精神がなければなりません。そうでなくては海の主人になることはできません。

 既に陸地は人でいっぱいなので、船を造って海に出ていくのです。将来、遠からず海で暮らす時代がやってきます。では、私たちは海で何をしなければならないのでしょうか。世界の海洋基地で統一教会の男性ムーニーたちが暮らすのです。これさえつかめば、現在の世界のすべての文化を思いどおりにすることができます。男性ムーニーたちが海岸に集まって、世界の海岸をすべて買うのです。私たちが所有するのです。

 これからの世界を指導することができる人は、海を守ることができる人です。人類が海底の宝物に対して、自分たちのあらゆる権力と文化的背景、そして伝統と国力を投入して開発をしていく時代が来ます。それを開発するためには、誰が先に海洋地域を占領するのかという問題が鍵となります。このような問題に直面する中で、統一教会の教主として、あるいは真の父母の名をもった歴史的な責任者として、今後統一教会がとどまることができる基地として、どのような場所を残してあげるのでしょうか。それは都心地ではなく海岸です。海岸において、あえて誰も考えもしないようなことをするのです。
 アメリカは、すべての水産事業から手を引きました。しかし私は、今後世界がどのように展開していくのかということを知っているので、困難であってもそのことを続けていくのです。歴史が進んでいく方向の始めから終わりまで、広く大きな高速道路を築くことはできなくても、小道だけでも築いておかなければならないと思っているので、一人で、海でその訓練をしているのです。

 一つ学び、二つ学び、三つ学び、四つ学び、五つ学び、六つ学んだとしても、もっと学ぼうとしなければなりません。それが公式です。一つのことは一つの公式を中心として編成されているので、多くの公式を知っている人は、闘いにおいて勝利するのです。海に行って釣りをしても、ほかの人よりもたくさん釣りますが、それは魚がどこにいるのかを知っているからです。多くの経験があるからです。ゆえに、経験を積んだ人には負けます。経験のある人には負けるのです。
 今、先生は一人でどこへ行ったとしても心配がありません。釣りの道具がなければ、釣りの道具も作ることができます。そのような自信をもとうとすれば経験が必要です。今後、海に関心をもつようになる舞台において、海に対する関心をもっている人と、もっていない人を見れば、もっていない人は必ず後退します。完全に負けるのです。