第2章 死と霊界 : 第二節 死に対する理解 : 3. 死は三段階をつなぐ過程

 死という単語を使った目的は、人生の意味を知るためです。では、人生の価値は誰がよく知っているのでしょうか。生きると言う人は分かりません。死の窮地に入って、生死の岐路で、天にしがみついて人生の価値を打診してみた人でなければ分からないのです。

 今日世の中には、睡眠薬のようなものを飲んで自殺する人がたくさんいます。女性が多いですか、男性が多いですか。女性が多いです。なぜ女性が多いのでしょうか。女性は一方的にしか考えるすべを知らないからです。男性はいくら不細工でも、ああだこうだと考えるすべを知っています。女性は決心が一つしかありませんが、男性はああだこうだと引っかけて、死に得る道を避けていくのです。ですから、男性は自殺をあまりしないのです。

 自分は神様に似たいし、神様も自分の神様の息子・娘であるなら似るようにしたいという観念をもつのは必然的です。自分は神様に似たいし、神様は自分を連れていきたいのです。これを可能にし得る道を模索するでしょう。それで人は、再び神様に似ることができる体(霊人体)を着て生まれなければなりません。そのように生まれる日を神様も待ち望むでしょう。そのような人として生まれる日が必要です。それが何でしょうか。死です。
 では、人間は死を歓迎すべきですか、歓迎してはいけないのでしょうか。歓迎すべきです。では、何のために死ぬのかというときに、「神様の真の愛のために死ぬ」と言うべきです。それゆえ、肉身を脱ぐのは、無限の神様の愛の活動圏に自分が同参するためであり、神様の愛の世界のためです。
 神様の愛の中に生まれるのが死ですが、人間世界では「ああ、死ぬ」と大騒ぎするのです。制限された愛の圏内から、無制限の愛の圏内に突入し得る喜びを迎えることができる瞬間が、死ぬ瞬間です。それゆえ死ぬ瞬間が第二の出生の瞬間です。
 そうであるなら、神様が皆さんの肉身が生まれた日を喜ぶでしょうか、第二の無限の世界の愛のために活動する息子・娘として生まれるその時間を喜ぶでしょうか。なぜこのような話をするのでしょうか。皆さんが死の恐怖から解脱せずには、神様と関係を結ぶことができないためです。
 人は蘇生・長成・完成時代を経ます。腹中の水の世界、地上の地球星世界、天上の空中世界で暮らします。言い換えれば、腹中の水の時代、地上に生まれて生きる100年の地の時代、飛んでいく空中時代、このように三時代を経ます。
 人は生まれるとき、いちばん深い水の中から生まれるのです。腹中時代は水の中の時代です。赤ん坊がお母さんの胎中にいるときは、水の中に浮いています。水の中で暮らすためには、水を吸って送り出さなければならないため、赤ん坊はホースをお腹につなげて生きるのです。
 赤ん坊の栄養はどこから供給されるのでしょうか。へその緒から供給されます。へそが口なのです。ですから、それをばかにしてはいけません。「へそや、お前は苦労した」と、叩いてやれというのです。へそをたくさん叩いてやれば、健康になります。そのように運動しなさい。へその運動をたくさんすれば、健康になるのです。いくら寒い部屋で寝たとしても、へそだけよく覆い被せてあれば下痢になりません。
 ここが地です、分かりますか。風がこっちに入るのです。(行動で表現される)それゆえ、昔の功を忘れるなというのです。ですから、愛して叩いてやれというのです。(笑われる)
 腹中で皆さんの口はへそです。この息をする器官がへそを踏んで上がるのです。その次の口は何でしょうか。この口です。絶えず上がります。
 では、へその緒はどのようにすべきでしょうか。切ってしまうべきです。
 同じです。空気の世の中では、霊人体が体にくっついて、胎児のように肉身を吸っています。そうして、肉身が老いれば捨てていくのです。胎児が生まれて、お母さん、お父さんの愛の対象になるように、霊人体が、霊的父である永遠の神様と相対することができる人として、再び生まれなければならないのは、原理原則です。
 胎児が生まれて、お母さん、お父さんと友達になることができるのが地上世界です。お母さん、お父さんと、愛を共にすることができる地上世界に生まれるのと同様に、霊的に無限の世界に通じることができる父母の代わりの神様と、愛を分かち合うことができる霊界に生まれなければなりません。
 水の中の時代があり、陸地の時代があり、飛んでいく時代があります。今日、人間が飛んでいくのをどれほど待ちましたか。飛んでいくというなら、世界のいちばんの注目の的になりました。
 地上でこのような愛を呼吸する人は、死んだのではなく生きたのです。腹中で呼吸するときは、パイプ装置を通してしました。それがへその緒でつながった胎盤を破壊して生まれ、新しい次元、高い次元に上がります。高い次元で供給されるのです。空気を供給されて出てくるのです。
 腹中から出てきて、何を発展させるのでしょうか。空気ではなく愛です。愛の要素を受けるというのです。ご飯だけ食べてはいけません。水を飲んで、ご飯を食べるだけでは死んでいくのです。それは、第二の存在です。地上生活では、何を満たすべきでしょうか。この期間には、新しい愛の人格を形成しなければなりません。
 この地上で、皆さんが必要とするものが愛です。お母さんとお父さんの愛を受けられない子供を、なぜ孤児と言うのでしょうか。あの霊界と永遠につながり得る愛がないためです。それで、独身で暮らす人を、かわいそうだと言います。
 死ぬということは、第二の呼吸をしていた肉体につながったこの器官を壊して、愛の要素を受け継ぐのです。愛は見えませんが、父母の愛、夫婦の愛を中心として、一つの内的な構造が育っているのです。ですから、神様の法則のとおりに、胎内で正常的な赤ん坊として育つのと同様に、地上でよく育つべきです。
 トンボは初め幼虫として水の中で泳ぎ回り、地上に上がってしばらくの間ははい回ります。その次には、ひらひらと飛び回り、地ではい回ったときには思いもしなかった虫を捕まえて食べます。天下を自分の舞台として飛び回るのです。
 昆虫類の中には、三段階の世界を経るものがたくさんいます。昆虫といえば、大概羽根があります。昆虫も水で、陸地で、そして空中で暮らすのに、万物の霊長という私たち人間には羽根がないのでしょうか。次元の高い羽根があるのです。死が、第二の出生の幸福な関門です。
 死ぬとはどういうことでしょうか。胎内で泳ぎ回りながら暮らしたのと同じように、地上生活は、空気のおくるみの中で生きているのです。死ぬのは、別に変わったことではなく、第三の人生として出生することです。その瞬間が死ぬ瞬間です。