第2章 死と霊界 : 第二節 死に対する理解 : 2. 二つの死

 皆さんがいくら死なないと言っても、死ぬ時になれば死ぬのです。霊界に行く人にも種類があります。自分の寿命どおりに生きて行く人と、自分の寿命どおりに生きられずに行く人がいます。自分の寿命どおりに生きられずに行く人にも、罰を受けて早く死ぬ人と、民族や世界の罪を蕩減するために早く死ぬ人がいます。
 もしある町内で、指折りの若者が三人だけ死ぬようになれば、その町内には福が来るというのです。ある一族なら一族に、期待された若者が三人だけ死ぬようになれば、その一族には福が来るというのです。すなわち、蕩減を払わなければならないということです。どこでもそうです。因果法則はどこでも作用されます。
 神様が、千人の価値をもった一つの存在を中心的な立場に立てて、代わって死の道を行かせたとき、千人がその人の恩徳の前に感動して、その人を慈しみ、その人の生涯を見習い、その人のように生きると言うようになれば、その民族はその人のような恵沢圏内に入ってくるのです。人々が忠臣の思想を見習おうとし、聖賢の思想を見習おうとするのも、彼らと同じ恵沢圏内に入るためです。
 昨年も何人かが霊界に行きましたが、今年も何人かが霊界に行くでしょう。言いはしませんでしたが、先生は既にみな知っています。一段階越えていくときには、必ず蕩減を払わなければならないからです。

 この地上に生まれた人間たちの中には、希望をもって生きる人たちがあり、希望をもてずに生きる人たちがいます。しかし、希望には人間を中心とした希望と、天を中心とした希望の二つがあります。
 人間が自分を中心として見るときは、希望をもったようですが、死の峠を越えることができる希望をもてずにいます。そのような希望をもてないまま消えていきます。これを人生の手本と思って死んでいくのでしょうか。そうでなければ、死も一つの希望を探して行くのでしょうか。これが今日、地上に生きている人間たちが考えなければいけない、重要な問題だと思います。
 今日、世の中の万事はみな過ぎ去ってしまいます。家庭も過ぎ去り、国家も過ぎ去り、世界あるいはある主義も過ぎ去るので、最後に残されるものは何でしょうか。死と戦って勝利することができる一つの希望です。私たちにそのような希望がなければ、人生の敗北者です。
 反面、生まれながら世の中の人たちが願う一切の希望を拒否し、人間的なものを一切拒否し、天の希望、永遠の希望を抱いて生きる群れもあります。
 天は、人間的な希望を中心として生きている地上の人間をして、新しい希望をもって死の峠を越えることができ、永遠の世界を欽慕しながら生きることができるようにするために無限に苦労されました。それゆえ、信仰生活をする人たちは、地上のある希望を抱いて生きるのではなく、死までも越えて立つことができる希望を抱いて、永遠の希望の世界を夢見て生活すべきなのです。