第1章 地上と霊界での人間の存在 : 第一節 人生の路程 : 3. 人生の行くべき道

 人生において行くべき道は何でしょうか。神様の愛を占領することが人生において行くべき道です。神様の愛を占領することが、人生の行くべき最高の終着点です。この道は、男性も女性も行くべきであり、すべての人たちがみな行くべきなのです。
 人生において行くべき道は、無限であられる愛の神様を探すことです。十回でも百回でも、死の峠を経ても、絶えず神様の愛を探すのが、人生において行くべき最高の道なのです。
 欲望の終わりはどこでしょうか。神様の愛を占領するところです。神様を占領したといっても、その中でもっと貴い愛を占領できなければ、自分の神様ではありません。それゆえ、神様の愛を占領しなければならないのです。愛だけ占領すれば、彼のものが私のものであり、私のものが彼のものになり、そのとき初めて内外が一つになるのです。そのおうな国が上限の等級のない理想の本国になるのです。
 そのような場に存在するようになれば、天下にあるすべての存在で良く見えないものがなく、すべての存在が自らのために存在していると感じるのです。そのようなものが、神様の愛であるゆえに、今日、人間が行くべき天上世界、すなわち天国は愛で充満したところです。

 大宇宙を眺めるとき、ダイヤモンドのような宝石の星があるのです。それが全部自分の所有です。その楽しみで暮らすのです。宇宙を愛するすべての群れが、神様の愛する群れが大移動をしながら暮らすことができる理想世界です。そこに同伴者になり、同参者にならなければなりません。
 同役の者として、犠牲を自任して立ち上がれば、あの国の主役、担当する責任者になるかもしれませんが、適当にする人たちは、あの世で脱落者になるしかありません。

 霊界に行っても神様は見えません。霊界に行っても、神様は絶対に見えません。声を聞きますが、皆さんの目には見えません。しかしながら、誰か神様の代わりに、形状的な実体として現れるのでしょうか。今まではイエス様が現れました。これから来られる主がいれば、その主が神様の形状に変わります。それでは、イエス様は何になるかというと長男、息子になるのです。イエス様はどのようになるかと言えば、息子になるのです。

 皆さんは、霊界の事実を知らないかもしれませんが、先生は神様の特別な恵沢を受けているので、未知の世界のことをよく知っています。
 その世界の根本を掘り返してみると、原則は簡単でした。その世界は、神様の天地原則である、為に生きる人だけが行くところです。そのような内容で形成された世界が理想天国です。
 そこが、私たち人間が訪ねるべき本郷です。今日、私たちは堕落して本郷から追放された人間になったために、本郷の地に向かって帰るべき運命にあるのです。しかしそこは、人間自体としては入ることができないために、神様は人間が入ることのできる道を歴史過程に設定せざるを得ません。
 ですから、その民族の文化背景、風習、あるいは伝統によって、数多くの宗教を立てて収拾してきました。収拾するための訓練場として立てたものが宗教なのです。ですから、宗教は、本郷の地に入ることのできる資格を錬磨する訓練の場です。東西四方の文化背景によって、高い所に前進することのできる一つの統一された宗教世界を率いてきています。
 そのような本郷へ行くために指導するべき宗教は、何を教えてくれるのでしょうか。為に生きなさいということを教えざるを得ません。ですから、高次的な宗教であるほど、為に生きるべきだという原則を強調しなければならないので、温柔謙遜であれというのです。数多くの人を敬い、彼らのために生きる立場に立ちなさいというのです。犠牲になり奉仕せよと教えるのです。その国の法度に合う訓練をしなければならないからです。