第2章 死と霊界 : 第二節 死に対する理解 : 1. 「亡くなる」という言葉の意味

 間違いなく霊界はあります。間違いなく霊界はあり、私たち人間は、どうせ霊界から生まれたために、霊界に帰らざるを得ません。
 韓国には面白い言葉があります。「トラガンダ(帰る、亡くなる)という言葉です。どこに帰るのでしょうか。共同墓地に行くのは、帰ることではありません。出発した本拠に帰るということです。それは共同墓地ではなく、果てしない遠い歴史の起源を越えて帰るということです。
 人間が帰る(亡くなる)ということは、韓国人として生まれ、韓国人として帰る(亡くなる)ということではありません。韓国人として死にましたが、韓国人として帰るというその道ではないのです。私たち人類の先祖の起源の世界に帰るのです。創造主がおられるなら、その創造主がおられる所に帰るということです。そこから出発したので、そこに帰るのです。
 宇宙は、循環作用をします。山に積もっている雪が溶けるようになれば、小さな渓谷を通じて流れていき、多くの支流を通じて大海に流れ込みます。大海に入るようになれば、それが水蒸気になって、再び帰ります。
 循環運動をします。帰るとすればどこに帰るのでしょうか。もっと高くあり得るところに、もっと良くあり得る所に帰るのを願います。

 私たちはこの世の中に暮らしていますが、この世の中だけがあるのではなく、霊界があります。世の中と霊界は、二つの世界ではなく、一つの世界としてつながらなければならないということも知っています。
 では、私たちが行くべき所、私たちが行って暮らすべき所がどこでしょうか。もちろん私たちは、肉身生活をしながらこの地にいますが、永遠の世界に向かって行っているのです。一般の人たちは、世の中に生まれるようになれば、十代、二十代、三十代、中年を過ぎて、壮年、老年時代を経て行きます。青春時代を過ぎ、壮年時代に入るようになれば、だんだん一つの峠を越えて、その次には老年時代に入るようになるのです。このように、沈む日のように一生を終えます。
 しかし、霊界があるという事実を知る人たちは、一生というのがちょっとの間であり、死んだ後に私たちが迎えるべき世界が永遠だということを知っています。ゆえに一生は永遠の世界を準備するための期間です。