御言の図書館のサイトです。御言をはじめ様々な書籍を閲覧できるようにしてあります。
第1章 地上と霊界での人間の存在 : 第四節 祝福と永生 : 4. 祝福と霊界 |
(1)真の愛の威力
霊界も肉界も、愛によって動きます。真なる愛を中心として、環境的与件は拍子を自動的に合わせるのです。
過去の人も、現在の人も、永遠なることができる資格が何でしょうか。私たち人間世界で必要とするすべての要求の要因が何でしょうか。それはつまらない愛ではなく、真の愛です。
真の愛とは何でしょうか。縦横を通じ、どこでも90度で合うのです。東洋の家にも合い、西洋の家にも合い、南型の家にも合い、北型の家にも合い、五色人種、文化背景、すべての宗教背景が、全部違ったとしても合わなければなりません。それが真の愛です。
今日、この世には多くの人たちが暮らしています。その人々の中で、祝福という意味を知る人は多くないのです。この祝福という言葉は、私たち統一教会で初めて使った言葉であり、その言葉を中心として今まで祝福行事をしてきました。
これから、すべての人類は、祝福の門を通らずしては天国に行くことができません。数多くの人が既成教会を信じていますが、その既成教会自体も祝福という門を通らずには天国には行くことができません。
このように言うと、既成教会では、統一教会のレバレンド・ムーンは独善的な話をたくさんするということでしょう。私たちのいう祝福は、堕落した人類において必ず行くべき道です。いくら反対したとしても、霊界と肉界をつなげて入らなければならない非常に重大な問題になるのが、この祝福です。
今日、一般の宗教を信じる人は、「救い」というと個人の救いだけを考えます。自分がよく信じれば、天国に行くと信じているのです。しかし、本来の神様の理想について見るとき、天国は一人で行くようになっていません。愛する夫婦、愛する家族が共に入るようになっています。
(2)結婚と霊界
私たちは、愛の理想を探していく群れです。ですから、霊界の代弁者として立つために、愛の理想を横的な世界に植えなければなりません。ここで、愛の心を授け受けしながら大きく育つのです。
こうして愛の実を結び、その夫婦が霊界に入るようになるとき、神様の永遠の愛の圏内に抱かれて神様と一つの体になるのです。
この地上で人の殻(体)は老けていきますが、夫婦生活をして愛すれば愛するほど、霊人体は若くなるのです。どういう意味かというと、人間が愛の中で長く生きれば生きるほど、内的人間である霊人体は、最高の円熟した美男・美女になるのです。その殻は、服のように脱がなければなりませんが、若返ってくっついたらどうしますか。
ですから、老ければ外的な殻は全部だめになりますが、内的な中身は、丈夫になって未来の相続者になり、美人になるのです。秋になると、丈夫だった栗のいがが熟れ、殻はぶよぶよになって裂け、栗の実が落ちるようになっています。それと同じです。
キリスト教では、神様を愛すると言いますが、漠然としているのです。聖書には、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』」(マタイ22/37〜39)とあります。そうなればいいのです。
神様を愛する前に、皆さんが食べる食物を愛さなければなりません。万物を愛し、皆さんの体を愛さなければならないのです。
皆さんの第一の父母は、皆さんを生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。この地です。皆さんは、地から体が成長するための要素を供給されるのです。ですから地が体の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母のもとに行くのが死ぬことです。第三の父母に帰るには、本来の父母だった神様の形に似なければなりません。
したがって、結婚するのはなぜでしょうか。神様の形に似るためです。神様は、二性性相が合体化した一律的な存在であり、その神様の分性的存在自体が男女であるために、彼らが合性一体化して種のようになって、神様の本性の位置に帰らなければならないのです。
しかし、その種をつなげるためには愛の道を通じなくてはいけないのです。そのために、生まれるときも愛され、育つときも愛を目標として育ち、愛を中心として暮らしながらも愛に帰るために行かなければならないのです。その道は、為にする目標を中心として訪ねていかなければ、方向が異なるようになります。
(3)祝福家庭の霊界の立場
我が教会の信者たちは、霊界が確実にあるということを知っています。信じているのではなく、知っています。多くの体験を通じて、否定しようにも否定できないのです。今日、私たちが世界的な基盤を形成するまで、多くの霊的体験過程を経てきました。それゆえ、霊界がないと言うことのできない立場にいる人たちが、皆さんです。
霊界は絶対的神様を中心として構成された世界です。その絶対的神がいるなら、その神は宇宙の起源になる方です。神によらないものがありません。ですから彼に属しているものすべては、共に感じ、共に因縁をもって過ごしているのです。
そのような愛の圏が成されるところにはサタンがいません。サタン世界は自分を中心として愛するのです。天がいちばんではなく、自分がいちばんです。天を否定し、地を否定して始まるのです。
それゆえ、その反対に、天を認め地を認めて、父母の平均的愛のもとで一つになれば、サタンが主管することができないと見るのです。それが本然のアダムの位置です。その基準を回復しなければなりません。
ある町内に、祝福家庭の夫婦が住むようになれば、その町内で話題にならなければなりません。先生がどこへ行っても話題になるのと同じです。「あの夫婦は、この町内に実によく来た。あの奥さんは、この町内のすべての人たちが好む。おばさんたちが好み、子供たちまでも好む」。そうでなければなりません。
それができなければ、霊界に行っても再び帰ってこなければなりません。帰ってくるには、先生がサインをしてあげなければいけないのです。祝福を受けた家庭たちが、勝手に地に来ることができますか。それは先生が祈祷をしてあげてこそ可能なのです。それで、(霊界に)行った人たちがみな縛られています。
それゆえ、地が問題です。