第1章 地上と霊界での人間の存在 : 第四節 祝福と永生 : 3. 愛と永生

(1)愛と直結した永生
 私たちは永生を願っています。永生を願うときに、変わらないものは何でしょうか。愛です。
 他のものはみな変わります。環境的に変わるのです。では、愛はなぜ変わらないのでしょうか。愛はすべての生命力の中心なので変わらないのです。愛がなぜ変わらないのでしょうか。愛は理想的な与件の中心に位置を占めるからです。中心点は、その周囲が全部なくならければ、なくならないというのです。愛は宇宙の中心になっているので、愛と一つになれば、神様が残っている限り残っているのです。

 真の愛とは何でしょうか。皆さんは結婚するとき、結婚相手が自分より勝っていることを願います。また、自分の息子・娘が自分より勝ることを願わない父母はいません。それは誰に似たのでしょうか。神様に似たのです。神様は愛の相対が自分より勝ることを願うのです。
 絶対的な神様が私たち人類の父ならば、その父は行わないで、息子・娘だけ絶対的に行えと命令できるでしょうか。できません。神様の愛の相対が自分よりも勝ることを願われる原則から見るときに、人間の価値は最大の価値なのです。愛を中心として神様より高い価値があるというのです。
 それゆえ、皆さんの心は、最高のものを願っているのです。それは不可能なことではありません。万人平等に可能なことです。堕落しなかったら可能なのです。
 高く貴い立場で、この宇宙を眺めて管理して主導するようになっているのであって、引かれて回り、服従するようにはなっていませんでした。皆さんの心がそうです。解放された心です。誰の支配も受けたがりません。これは、万民が平等です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天国の宝座に自由に行くことができるのです。神様の友達になることができるのです。
 愛のために人間を造ったというときは、神様が永遠に絶対的であり、人間自体も永生するというのです。これは自然な論理です。それゆえ、真の愛は永遠です。永生するには、その真の愛の圏内で暮らさなければなりません。

 真の愛により、永生が可能です。創造の出発、動機、過程、目的などすべてのものが、愛を中心として完成するからです。過程を通じて結果が出るのです。
 自分の心と体の完成は、真の愛によって根本的になるようになっています。理想が結実するものは愛しかありません。真の愛しかありません。真の愛により神様も永存しています。
 永生は、愛によりつながるのです。ですから、永生の環境を築くには、愛の環境を中心として生活しなければなりません。愛の実体圏をもつには、愛を中心として、実体的な体恤をしなければならないのです。

(2)絶対必要な真の愛
 神様は霊界のどこにおられるのでしょうか。絶対的な中心、愛の中心におられます。その愛は真の愛であり、直短距離に通じます。
 皆さんは、第一に神様を知らなければならず、第二に永生を知らなければならず、第三に真の愛を知らなければなりません。これは投入です。100パーセント以上投入します。100パーセント以上投入するところに永生があります。真の愛をもたなくては、永生がありません。永生しない人は、神様に会うことができません。

 これから世界をどのように収拾するのでしょうか。第一は利他主義、第二は真の愛、第三は永生で世界が収拾されるのです。
 真の愛とは何でしょうか。自分の生命以上のものを投入しなければなりません。生命以上に投入しないところには、真の愛はありません。生命以上に投入するところから真の愛が成立します。真の愛が成立されなければ、永生はないのです。
 それは皆さんが、サタンの血統を受け継いで生まれたからです。それで、聖書には「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な第一のいましめである」(マタイ21/37)とあります。この意味は何でしょうか。心をつくして、思いをつくせと言ったのは、生命までつくせということです。これが第一の戒めです。
 第二の戒めは、自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよということです。隣り人を自分を愛するように愛せよということは、生命を懸けて愛しなさいということです。生命を投入しなければなりません。なぜ、生命を懸けなければいけないでしょうか。第一はサタンを屈服させることができず、第二はサタンの環境を抜け出すことができず、第三はサタンの血統を抜け出すことができないためです。
 サタンの環境は抜け出すことができるとしても、サタンの血統はしかたがありません。真の愛は、生命を超越します。
 男女が生まれたのも、利他主義です。男性が生まれたのも女性のためです。これは、絶対的な真理です。それは永遠の真理です。なぜ、そのように生まれたのでしょうか。真の愛のためです。
 男性もそうであり、女性もそうです。世の中では、「二人で永遠に一つになりたい」と言いますが、二人が一つになって神様を占領しようというのです。真の愛でなければ神様を占領できません。
 皆さんの家の中で主人は誰になるのでしょうか。その家全体のために一生の間生きていく人が中心者になるのです。神様の代わり、父母の代わりに中心者になります。100名の友達がいるというとき、その100名のために一生の間生きれば、友達100名からあがめられる中心になるのです。ですから、永遠の世界で、永遠に為にする主人がいれば、永遠の主人になるのです。その方が神様です。ところで、その方は私たちの父であるために、すべての宇宙が「私」と共にいるというのです。そこに永生があります。そうでないところは永生がありません。
 それで聖書に、「死のうとする者は生き、生きようとする者は死ぬ」とあります。それはどういう意味でしょうか。死を越えるべきであり、越えなければ生きることができないということです。