第1章 地上と霊界での人間の存在 : 第四節 祝福と永生 : 1. 永生の概念を知るべき理由

 なぜ今、世の中の家庭が壊れていっているのでしょうか。また、なぜ、お母さん、お父さん、子女が怨讐になるのでしょうか。真の愛がないからです。
 いちばん重要なものが永生です。しかし、霊界があるか、ないかということを知らずにいます。間違いなく永生するということを知るようになれば、他の人が罪を犯せと言っても犯さないのです。自分のために生きろと言っても生きません。これを知らなければ、既成教会を信じても、何かの宗教を信じても、絶対に天国に行くことはできません。神様の理想世界に行けないのです。真の愛、生命を投入せずしては、だめなのです。

 私たちの教会が原理で武装すれば、永生問題がはっきりとします。この永生問題とつながらなければ社会変革も不可能です。現在の暮らしよりも、もっと疲弊して没落した環境に陥るなら、誰もがその場に行かないのです。
 しかし、永生問題、永遠の生命の問題は、環境的与件をすべて克服することができるのです。宗教はそれで偉大なのです。永生問題がかかっているのです。永生問題の概念だけしっかりと立てておけばいいのです。
 今まで宗教は、習慣性で結ばれた現在の文化背景を消化し、越えることができませんでした。永生という概念をつくることができなかったからです。
 キリスト教は環境が変われば変わるほど、なぜ揺れるのでしょうか。永生という概念がないからです。永生問題に自信がないのです。生命を差し出して、環境を越えていくことができるかという問題について見るとき、みな四方を見回しながら現在の生活に落ちていっているのです。
 その人たちに永生の概念を知らせなければ、中間に落ちるのです。では、永生の概念を知らせるとはどういうことでしょうか。神様と自分との関係、愛の問題、永遠です。私たちだけがこれを完全に知らせることができます。
 信仰の道は、肉身生活の準備ではなく、永遠の世界で生活するための準備です。このような信念さえもつようになれば、それは放っておいてもいいのです。人は40歳を越え、50歳を越え、死ぬ日が近づけば、永生問題について深刻になるのです。年を取るほどに、だんだん深刻になるのです。
 愛というものは年を取るほど希薄になりますが、永生の概念さえ分かれば、年を取るほどだんだん深刻になるのです。それゆえ、宗教理念だけがこれからの世界を導くことができるのです。環境が頻繁に変わっても、悲喜劇がぶつかってこようとも、永生の概念さえ徹底すればすべてが問題にならないのです。それゆえ問題は、永生という概念をどのように分からせるかということです。神様はアダムとエバを愛の対象として造りました。それゆえ、愛の対象となって生きなければならないのです。それを言葉だけでなく、実感しなければなりません。また、体恤しなければなりません。
 真の愛の力が偉大だということを知るようになれば、行くなと言っても、行くようになっています。
 それゆえ、永生の概念だけ分からせればみな終わるのです。これを分からせるにも、青少年期ならば、理論的に的中し一致すれば心にどかんと響き、体までいちばん近い級で一つになり得るのです。
 そして16歳以前なら堕落前の本性基準を100パーセント活用し得る時です。16歳以前は、アダムとエバが堕落する以前なので、本性基準が生きているのです。それゆえ、青少年の時期に、神様を知らなければなりません。神様を知ることによって、自分と神様との不可避の関係を知るのです。なぜ不可避の関係かということを分からせるためには、永生概念を分からせなければならないのです。
 これさえ分からせるようになれば、私たち二世に、他の道を行けと言っても行かないのです。それゆえ、世の中を早く救って、すべて天国に連れていかなければなりません。それが自分の所有になるのです。そのすべてが、あの世での等級を決定するのです。ですから天国は今、完全に空いています。