第1章 地上と霊界での人間の存在 : 第一節 人生の路程 : 2.  瞬間(1日)と一生の関係

 皆さんの生活全体が栄養素を吸収し得る基盤にならなくては、生命体を完成することができません。これが、自然現象の世界で繰り広げられます。生命の分岐点は、ある長い期間にあるのではなく、一瞬の間にあります。
 瞬間を無視する人は、貴いものをもつこともできません。偉大な人にもなれず、また、神様の王座と王冠を受け継ぐことができません。それゆえ、瞬間を輝かせるために、皆さんは言葉一つ、行動一つを注意すべきであり、考えることも注意しなければなりません。自分の生活で繰り広げられるすべての内容が、世界と関係する現象として残るという信念をもつところでのみ、勝利圏が決定されるのです。
 このように、勝利圏が決定されるのは瞬間です。したがって、歴史的な勝利圏、天宙的な勝利圏も瞬間に決定されます。瞬間を輝かせることのできる無限の価値を感じて生活する人は、偉大な人になることができます。聖人にもなることができ、神様の息子・娘になることができるのです。このように、生死の分岐点は瞬間にかかっているのです。

 復帰摂理歴史を見れば、アダム家庭からノア家庭、アブラハム家庭、モーセ家庭、イエス様の家庭まで、四千年の歴史が連なってきていますが、彼らが失敗するようになった動機は、ある一年を中心としたものではありません。
 アダム家庭において、アダムとエバが堕落したのも、一年や十年、あるいは何十年も計画して失敗したのではありません。その失敗は、一瞬にもたらされました。一瞬の失敗が、億千万年続いてきたということを考えるときに、その瞬間がどれほど恐ろしく、どれほど怖いものであるかを知ることができます。
 その一瞬の失敗で、歴史時代に修行の道を行った数多くの人たちが、受難応報を受けなければならず、そのみ旨に従わない数多くの民族は、滅亡のどん底に落ちなければなりませんでした。それが、とてつもない蕩減の祭物の起源になったというのです。このような事実を考えるとき、一時間、カチカチという瞬間が恐ろしいのです。永遠の天国も一瞬を離れてはあり得ません。
 永遠の出発は、自分が死んでから始まるものではありません。永遠の出発は、自分がみ旨を知った瞬間から続くのです。そこに一日のうち一瞬でも、時間の関係において飛躍があったり、どん底から生じれば、永遠は中断するのです。

 復帰摂理歴史を見れば、アダム家庭からノア家庭、アブラハム家庭、モーセ家庭、イエス様の家庭まで、四千年の歴史が連なっていますが、彼らが失敗するようになった動機は、ある一年を中心としたものではありません。
 アダム家庭において、アダムとエバが堕落したのも、一年や十年、あるいは何十年も計画して失敗したのではありません。その失敗は、一瞬にもたらされました。一瞬の失敗が、億千万年続いてきたということを考えるときに、その瞬間がどれほど恐ろしく、どれほど怖いものであるかを知ることができます。
 その一瞬の失敗で、歴史時代に修行の道を行った数多くの人たちが、受難の応報を受けなければならず、そのみ旨に従わない数多くの民族は、滅亡のどん底に落ちなければなりませんでした。それが、とてつもない蕩減の祭物の起源になったというのです。このような事実を考えるとき、一時間、カチカチという瞬間が恐ろしいのです。永遠の天国も一瞬を離れてはあり得ません。
 永遠の出発は、自分が死んでから始まるのではありません。永遠の出発は、自分がみ旨を知った瞬間から続くのです。そこに一日のうちの一瞬でも、時間の関係において飛躍があったり、どん底が生じれば、永遠は中断するんのです。
 それゆえ、私たちが生涯の路程として信仰の道を行くときに、今年行くことができなければ来年に行く、来年行くことができなければ再来、十代で行くことができなければ二十代で行く、二十代で行くことができなければ三十代、三十代で行けなければ四十代、四十代で行けなければ五十代で行く、というようにしてはいけません。このように生きていくなら、彼は生涯、み旨と一つになり得る生活を一日たりともしてみることができずに死ぬでしょう。もしそのように生きたなら、その人は天国に行くことはできません。

 いくら自分が暮らしているその国がよいといっても、一日の勝利の基準をもつことができないなら天国に行くことができず、一生の勝利の基準をもつことができないなら永遠の世界に入ることができないというのです。
 それゆえ、信仰者は永遠を夢見ていくことも重要でしょうが、それより重要なことは、現実にどのように悪を清算して、善の旗手になるかということです。このような問題が何よりも重要です。
 このような点から見るとき、アダムの瞬間的な失敗が億千万年の恨を残したのです。アダム家庭で、カイン・アベルが父母の恨を解いて、兄弟の壁を崩して、一つの起源をつくらなければなりませんでした。このように、復帰摂理の代表として立てられたアベルが死んだのも、瞬間的な事件でした。
 百二十年かかって箱舟を造ったノアの苦労の路程においても、神様が「願いを成就する日が来たので船に乗れ」と言われた命令も、一瞬において下されました。この命令に同調した人は永遠の神様の祝福を受けることができましたが、そうできなかった人は、永遠の審判圏内に埋葬されたというのです。
 アブラハムも同様です。神様が「あなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。……もろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう」(創世記22/17,18)と祝福されましたが、その祝福も一瞬に下されたのです。また、アブラハムが供え物をした時間は、一時間未満でしたが、ここで歴史的なすべての生死禍福の起源が組まれていったのです。
 今日、信仰者たちが恐れるべきことは、終わりの日に訪ねてくる審判ではなく、一日一日の生活圏内で訪ねてくる時間です。それを、どのようにみ旨と一致させるか、どのようにみ旨と共に交差路を形成していくかという問題です。