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第1章 地上と霊界での人間の存在 : 第三節 肉身生活の重要性 : 4. 肉身生活の標準 |
先生の生活は、神様のために生きる生活です。この世界のために生きる生活です。自分のために生きようとは考えてはなりません。皆さんは、神様と真の父母と人類のために生きなければなりません。
神様と真の父母と人類を結ぶためには、真の愛がなければなりません。神様も真の愛を願い、真の父母も真の愛を願い、人類も真の愛を願います。真の愛を中心として、真なるこの宇宙を相続できる人にならなければなりません。
それゆえ、今まで皆さんがどれほど天の願う生活と一致したかということを、比較しなければなりません。そして人類を代表した自分にならなければなりません。父母を代表した自分になり、神様を代表した自分にならなければなりません。そのように生きた人は、霊界に行っても、地上のどこへ行っても、境界線がないのです。
自分が千名の友達と共に食べたい場合、そのような環境も愛を通じた世界でだけ可能なのです。神様は創造主の能力を行使するとき、その愛を中心として造ったのです。
霊界では、真の愛がつながればすべてを調節することができ、すべてを創造することができます。それが私たちの理想郷です。真の愛と関係を結ばなければ、みな無駄なのです。
皆さんの生涯の中で、三分の二以上が口で言えない悲惨な生活をしたとするなら、その三分の二の生活をすべて取り除くことができるでしょうか。取り除くことができません。必ずついて回るのです。
蕩減はなぜ必要でしょうか。復帰するためです。復帰とは再創造でもあります。ある人は「ああ、年を取ったらイエス様を信じて、死んだら天国に行こう」と言っています。しかし、何でも老いてから正すのは難しいのです。
それゆえ、若い人でなければなりません。二十歳で入ってくるより十五歳で入ってくるのがいいし、十五歳の時よりも赤ん坊の時から知って大きくなったほうが、もっと価値があるのです。
皆さんの中に水がいっぱいに満ちているなら、それは清い水でしょうか、泥水でしょうか。そこには砂粒が混じっており、小石が混じっています。大雨の降った後に、河川にありとあらゆる汚いものが引っかかっているのと同じように、皆さんの中にも、ありとあらゆる汚いものが混じっているというのです。
ですから、振り回してみな排泄しなければなりません。濾過装置を経なければならないのです。それゆえ、自分があってはなりません。自分があれば引っかかります。水自体に砂粒のような汚い塊が、流れることもできず引っかかるようになっています。
霊界に行くようになれば、そのような装置、レントゲン写真のようなものに照らされるだろうと考えてみませんでしたか。神様もそのような濾過装置を経た人たちを必要とします。