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第7章 地上人と霊人との関係 : 第二節 地上人と霊人との関係 : 5. 先祖と私たち |
(1)私たちを見下ろす先祖たち
皆さんが霊界に行くとしたら、先祖たちが現れるでしょうか、現れないでしょうか。「うちの孫たちが統一教会に入って文先生に会ったって!」そこで天国の宮殿、皇族が始まるのです。今まで天国に宮殿がありませんでした。真の父母が教えてあげたとおりに、ただ愚鈍でしろと言うとおりにする孫と、自分の思いどおりにスルスルとウナギのように抜けて行く孫娘を霊界から先祖たちが見る時、どちらを褒めるでしょうか。ウサギのようにする孫娘を褒めるでしょうか、カメのようにする孫を褒めるでしょうか。カメのようにする人を褒めるのです。
ウサギは小便をよくするのです。小便をするのを見たことがないですから、カメはよく分かりません。ウサギは少し行っては小便をして、また少し行っては小便をするのです。それはなぜですか。他のウサギたちが来られないように自分の領土を決定するために、小便をするのです。
カメのようにしなければならないのです。しろと言ったらして、夜が来ても昼が来ても、歳月が流れても、ただ春夏秋冬を忘れてまめに行く人は、みな歓迎します。あの世のすべての先祖たちが、皆さんの暮らしをみな見ています。どこも隠すところはありません。先祖たちが全部見ているのです。霊界に行くようになれば、壁もみな通じるのです。地球の固まりも、みな通じるのです。そのような世界に行って、永遠に暮らさなければなりません。神様の愛の対象として造られた人間であるために、神様が永遠であられる限り、愛の対象になる存在も永遠に必要だというのです。神様が永遠であられるように、私たちも永遠なのです。愛の相対にならなくては永生がありません。
あの世では、どのような人が一番高い位置に行くのでしょうか。千年万年自分が再び生まれて、神様のように人類のために生き、神様に同情し、神様を慰めることができる自分になる、と言う人が神様の前にいちばん近くに行くのです。良いものがあれば、全部人類のために使おうとする人です。おじいさん、おばあさんが行く日が近ければ、良いものは全部息子・娘の前に残してくれるでしょう? 自分が努力したすべての代価を譲ってあげるのと同様に、そのような心を世界人類に残してあげるといい、世界に何かを譲ってあげると言える生活をしなければなりません。
先祖が生きてきたこの家の中に、自分の曾祖母、曾祖父が暮らしたその部屋に、うちのおじいさんを産んで、うちのおばあさんを産んで、自分を産んだその部屋に、おじいさん、おばあさん、曾祖父、曾祖母が愛したその愛より、もっと大きな愛を残すことによって、天が見る時、愛の光沢で光るのです。百ボルト、千ボルト、万ボルトの光がずっと輝くのです。その輝く光がどこに行くかというと、故郷に行くのです。先祖、先祖、先祖と上がって行くのです。霊界に行くようになれば、神様を中心とした天国に行くのです。その天国が、本来私たちの本然の故郷です。私たちの本来の父が神様でしょう?
アダムとエバは神様の体です。アダムとエバは横的な父母であり、神様は縦的な父母であるために、私たちが横的なこの体を脱いでしまい、縦的に還故郷して天国で永遠の王として和して、その体を身にまとって完成して、この地上で神様の愛で直接主管圏と間接主管圏をつなげることができる責任分担を果たした愛の王になるのです。そうすれば、神様はそのアダムの心におられ、アダムの霊は神様の体になるのです。一身になるのです。永遠に神様の愛と人間の愛を共に分けて、呼吸するのです。
それゆえ、神様の愛を受けなければならず、その次には、先祖になったアダムとエバの愛を中心として、誰がより本質的な愛に近いかというのが、あの世に行って修行していく永遠の路程なのです。
(2)先祖の救いがかけられている私たち
おじいさん、おばあさんが亡くなられたならば墓参りをしなければならないのです。神様が墓に埋められたとして、墓参りをしなければなりません。いざ亡くなるという時には痛哭します。おばあさん、おじいさんに侍ることができなかった恨を、自分一代で贖罪しなさいと言うのです。
自分の泣く声を聞いて、天上世界の神様が全部認める立場で、うちのおじいさんが自分を見て「そうだ、よし」という伝令が来るまで、精誠を捧げなければなりません。収穫の時に訪ねていって侍ることを知らなければなりません。教会のお化けになったと思い、流れていく鬼の子だと思ったのに、王孫(王の血筋を引くもの)が生まれたとたたえるのです。
父母に侍ったこの地のどの王よりも、家庭的に侍らなければなりません。皆さんの父母が王になればよいと思うでしょう? 皆さんの父母が、神様よりも王よりももっと高ければいいというのが皆さんの心なのです。それがみな許されていたのです。自分が王宮の道理の法を守ってでも、父母を世界のどのような王よりも幸福にする、と言うことができる王孫の資格を備えて生きなければならないというのです。
そこでは、父母たちが口を開くようになれば、自分の息子を誇らざるを得ないのです。天国の先祖たちもたたえ、後孫たちもたたえるために、ここからその父母を中心として、統一圏が展開されるのです。父母を中心として統一圏が展開され、おじいさんを中心として侍って統一圏が展開され、全部の統一圏が展開されるようになります。孫の統一圏、父母、孝行者の統一圏、息子・娘が侍るのに、将来、万世一系の主流の統一圏がここから決定されるのです。統一の種を完全に蒔くことができる基盤になるのです。これをもつようになれば、夢を見て行くのです。
今まで長子権復帰をしたので、先祖たちは全部おじいさん、お父さん、お兄さんの三代を中心として、この長子権、父母権、王権の立場に屈服して、孫を先祖として、おじいさんとして侍るのです。自分の子供をお父さんとして侍らなければならず、自分の弟をお兄さんとして侍ることができる天地開闢、180度ひっくり返る道が生まれることによって、地獄でもこれと同様に、天国に向かうことができる方向に転換されるのです。
それで、故郷に帰って160家庭を復帰しなければなりません。故郷を中心として行ったり来たりしながら、み言を聞かせなければなりません。先祖の根である本家が良いと言えば、分家の孫が全部ついて行かなければならないのです。このように160軒を訪ねて、一ヵ所に集めて宴会をして宣誓式をするのです。神様の王子、王女の命令に絶対服従すると言って、先祖の墓に集まって先祖の墓の前で即位する王のように侍らなければならないのです。
「私たちは真の父母によって、新しい血統を引き継ぐことのできる先祖になることで、解放圏が展開する祝福された氏族になりました! この氏族は永遠不変の神様の眷属であり、血族になります!」。このようになれば、サタンと完全に決別します。
それで統一教会は、先祖たちに仕えることを許すのです。キリスト教は祭事するのを許しましたか。統一教会は、今その伝統を立てなければならないのです。これは、世の中の伝統ではありません。天の父母、天の国、天の先祖に仕えるにおいて、その代を受け継いだ氏族的メシヤ圏、伝統的血族を、千年万年侍ることができる王の領土になるのです。王に侍り、永遠の太平盛大をうたうことができるその国になるのです。分かりますか。その国で暮らしてこそ、皆さんの父母、一家、一族が天国に直行するのです。
自分の家がどうだということを知るべきです。自分の家は人間たちがこの地上で一生を生きる家の中で代表的な家です。それだけでなく、霊界まで代表している家です。それが自分が暮らすことができる家です。そのように暮らした人は、自然に根本の本郷の世界、故郷に、自動的に行くことができるのです。おじいさん、おばあさん、誰にあっても、そこでは葛藤がありません。
あの世に行ってみれば、数千代の先祖たちが一遍に集まってきます。そこに、地獄に行った先祖たちがいます。何代は地獄へ行き、何代はどこへ行き、先祖ごとに全部級が違います。為に生きた人たちが行くところは天国です。それゆえ、「家和万事成」は自分によってなされるのです。自分が家庭のために生き、おじいさん、おばあさんのために、3回だけ為になれば、おじいさん、おばあさんも間違ったことが分かるのです。
モーセがエジプトで奇跡を行いながら、為になろうとしたことが何回ですか。7回、10回、12回以上、全部為にしようとしたのです。為にしようとしたのに受けてくれなければ、天が導いてくれるのです。天が導いてくれます。自分が為にしたすべての公的な基盤を、他の世界へ行って、成してくれるのです。それで、サタン世界であるこの地上で信仰する人の中で、神様のように為に生きた人たちは、世の中では反対され迫害されましたが、イスラエル民族が選民圏として選ばれ、荒野を過ぎて本郷の地に入ったのと同様に、自分の本郷の地である神の国で豊かに暮らすようになるのです。
皆さんは頭の白くなったおばあさんに、ちゃんと仕えましたか。神様は白い神様です。高い山には、白雲が積もるでしょう? 神様はきれいな方です。ですからみな分かるのです。また、そのようなおばあさんには、自分の姑や夫の祖母にちゃんと仕えたかというのです。姑や夫の祖母があの世に行く時、「私が先に行ってお前がしたように、あの世でお目の来る道をきれいに準備しよう」。そのように言うことができなければなりません。