第7章 地上人と霊人との関係 : 第二節 地上人と霊人との関係 : 4. 地上人の暮らしの価値

 私たちはアダムとエバについて、今まで数千年下ってきながら、数多くの人類が讒訴したことを知っています。今、皆さんが新しい先祖になるのです。皆さんは後代の前に讒訴され得る先祖になるでしょうか。栄光を受け得る先祖になるでしょうか。この二つの岐路に立ったのです。アダムとエバが公的な立場に立てなかったことによって、讒訴の条件を残しましたが、より公的な立場に立って犠牲の道を克服していたなら、今日人類の後孫の前に讒訴されなかったであろうことは、当然の道理なのです。皆さんもそのような立場に立ったということを知るべきです。ですから、皆さんはいつも「三世代を代表した私だ」ということです。
 それゆえ、霊界は自分の手にかかっているのです。皆さんの先祖が、皆さん自身にかかっているというのです。過去、現在、未来を全部このように集めて二つを合わせて引っ張っていけば走って来るのです。このような使命を果たすべきです。
 ですから、霊界が自分の手にかかり、親戚が自分の手にかかり、親戚だけではなく国が自分の手にかかり、これから来る後孫の前に正しい伝統を立てておかなければならないのも、自分の手にかかっています。これをいつも考えるべきです。皆さん一人がしっかりできるかできないかによって、霊界に行った皆さんの先祖たちも解放することができ、皆さんの親戚たちも解放することができて、皆さんの後孫たちは解放の選民として決定され得るのです。
 神様が標的を六千年間合わせようとしましたが、今まで一つの標的も当たらなかったのですが、何万年の間撃ってぴたりと当たったのです。その合う時間を考えれば、いちばん眠気が差す時です。いちばん眠気が差し、いちばん疲労困憊する時なのです。神様がその時居眠りしたり、疲労困憊の状態でいるでしょうか。神様ご自身が撃つ時、疲労困憊して眠気が差すか差さないかという時、気を引き締めて撃ったのです。その時撃ってから、居眠りして疲労困憊して倒れるでしょうか。神様が対面もなく「うわ!」と喜ばれるのです。
 霊界でどれほどあきれるでしょうか。天使世界か見る時、「天使が間違えて、神様をあのようにさせておいたのに…」と言い、どれほどあきれるでしょうか。早く合えという願いが何万年も続いたのに、それがぴたりと命中したら霊界がどうですか。
 世界の人たちは、そのような素晴らしいところがあるなら、入場券1枚が1万ドルするとしても買って入るでしょうか、入らないでしょうか。そこにありとあらゆる人たちが来て「ああ、チケット分損した!」と不平を言って出たのに、後でその町内のある乞食がお金を借りて、物乞いをしてチケットを買って入って、神様が標的を合わせるのを見たらどうでしょう。乞食がそこで踊りを踊るでしょうか、踊らないでしょうか。
 そのようになれば、神様も気分が良くて誇るでしょう。「おい、当たった、当たった! 誰かいないか。誰かいないか?」このように探すのではないですか。その時、神様がその乞食を見たら「おい、こいつ、乞食よ!」そう言うでしょう。「ああ、うれしい」と言って踊りを踊られるでしょう。