第7章 地上人と霊人との関係 : 第二節 地上人と霊人との関係 : 3. 統一教会の使命

 飢えて死ぬ人よりもっとかわいそうな輩が、神を否定する人たちです。飢えて死ぬ人は、自分の善意の道理によってあの世に行くようになっても級がありますが、神がいないと言う人は、霊界を否定するので足場がないのです。霊界では雲のように放浪します。さすらいの霊になるのです。雲が集まって雨が降るのと同様に、集結して悪い影響を及ぼすのです。ですから、全部地獄に訪ねて行って、地獄をわずらわしくするするのです。そのようなことをちゃんと知って、これから生かしてやらなければならないために、このようなことをするのです。その次には、死ぬ人が問題です。今一日も、6万人が死んで行くことを父母、子供たち、兄弟たちが見る時、胸が絞めつけられ痛哭し得る出来事が繰り広げられています。ところで、真の父母という人が同情をせず、それに対する準備をしなかったら、地上において在世当時、自分たちと共に生きたという条件が恨みになります。
 私がそのような考えをもって、海洋事業を中心として、食糧問題を解決することができる道を準備するのです。二重、三重に苦労しても、統一教会がいちばん近い人たちになって、助けてあげることができる道のために、世界的宣伝をして準備するのです。ワシントン・テレビジョン・センターをつくったのも、みなそれです。募金運動するつもりです。
 人が100年生きられないのを考える時、50億の人類の中で、1年に5000万人が霊界に行きます。これらが地獄に行くのをどのようにしますか。サタンが巻いておいた種を、全部天に収めるのを神様が願うのに、これが遅れれば遅れるほどどのようになりますか。今まで40年間に、どれほど地獄に行きましたか。数十億が行ったのです。深刻なことです。あの世に行って、霊たちに会ったとき、「先生が在世当時に私たちに対して責任を果たせなかった」と言われれば何と言いますか。心でだけでもしなければなりません。心でだけでも食口たちに話し、未来についても責任をもつという行動を中心として行くようになる時、「あなたは驚くべき方です。私たちを考えてくださった」と言うのです。

 深刻な心情の立場で話をして、汗を流し、帰ってきて飲む水の味を、世の中の普通の人たちは知らないのです。その味がどうだったでしょうか。コーラとか、蜜の味とは比べものにならないのです。その味が違うのです。毎回違うのです。
 そのようなことも発見しなければなりません。そのようなことを感じなければ、霊感を感得することができないのです。霊界に対するすべてに感応することができないのです。そのようなことを感じるようになれば耳が敏感になって、あちらで話せば、既に何の話をしているのか分析してしまうのです。目をつぶっていても、誰が過ぎ去るか、良い人なのか悪い人なのかつきとめるのです。霊感が来るのです。それを知らなくては、霊界の悪神なのか善神なのか見分けがつかないのです。見て分かるのではなく、心が分かるのです。心の目は、見て分かるよりも高次的な立場にいるのです。
 皆さんは、まだ行くべき道が遠いから私がこのような話をするのです。それを知るべきなのです。自信をもたないでください。それで聖書には、「心の貧しいものは、さいわいである。天国は彼らのものである」(マタイ5/3)とあります。同様の道理です。みな通じる言葉です。