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第7章 地上人と霊人との関係 : 第二節 地上人と霊人との関係 : 2. 霊界での霊人たちの立場 |
今日地上には、40億の人類が暮らしていますが、霊界には数千億の霊人たちが暮らしています。それゆえ、地上のこの世界と、私たちが眺める主体となる霊界が、どのようにつながっているかということが問題です。私たちが貴く思う物質を中心としてつながっているのでしょうか、知識を中心としてつながっているのでしょうか、あるいは私たちが地上で重要視する権力のような内容を中心としてつながっているのでしょうか。そうではないのです。
なぜかといえば、あの世は物質世界を超越した世界だからです。あの世は、知識の世界を超越した世界です。時空を超越している世界であるために、昨日の喜びがきょうの喜びになり得、きょうの喜びが明日の喜びになり得る世界です。
このように見る時、その本質の世界は、今日人間世界に暮らしている私たちが必要として、重要視する内容を中心としては動かないです。霊界の生活のすべての価値的な中心が何であるかが重要なのです。
霊界に暮らす人たちは、各個人が霊界の社会に属しています。霊界にも人間世界と同様に、霊界の家庭があり、一族がいて、一つの国があり、世界がつながっています。今日、地上に暮らしている人は、好きでも嫌いでも、例外なく全部死んでとどまるところが霊界です。そこには未開人から文明人まで、歴史時代に生まれて死んだ千態万象の人間の群像が終結しているのです。
今までの人類歴史が、平和を中心とした人類歴史になれず、幸福を中心とした人類歴史になれず、理想を中心とした人類歴史になれなかったなら、霊界に行っている人たちは、どのようになるでしょうか。どのように治められるのでしょうか。ここでそのように暮らした人が、あの世界に行って突然変わることはできません。「三つ子の魂百まで」という言葉があるでしょう? 生まれもった性格は直しにくいのです。
このように見る時、あの世に行っている霊人たちは、私たちが今まで暮らしたのと特別に違うのでしょうか。突然変わるのでしょうか。そうすることができないのです。ここで暮らしたその形そのままで収穫されていくのです。
霊界に行っているすべての霊人体は、結局は地上に暮らしていた人たちの霊人体です。そのように見るようになれば、今日この人たちが暮らしている世の中と、別に違いのない世界なのです。
霊界は、今まで数多くの部類の歴史をもっているのです。ところで、この霊人たちは、思いどおりにここに来て働くことができないのです。ふさがっているのです。
それで、宗教で橋を架けなければ、特定の人以外には再臨することができないのです。ユダヤ教の中にも派閥が生じたのです。霊界から降りてくる時、その主流が直線ではだめなのです。ユダヤ教の互いに違う系統が精誠を尽くすようになれば、その主流が移って、行ったり来たりするのです。
それゆえ、霊界にいる人が下りてくるには、直線に該当する人以外には下りてこれないのです。再臨役事の協助ができないのです。そうして一世紀もたてば、またその人も霊界に行くのです。霊界に行って、この次の時代に来るには、やはりこのような原則で下りてくるのですが、特定の霊人たち以外には下りて来れないのです。
霊界の塀はだんだん多くなるのです。だんだん複雑になるのです。その次の世代が全部霊界に行くのです。それで、だんだん壁が大きくなるのです。全部壁です。今の時は、世界的時代なのです。どれほど複雑か考えてみなさい。これを復帰してくるには、どれほど回り回ってこなければならないかを考えてみなさいというのです。それゆえ、時になったら、塀を崩さなければならないのです。下りてくる道と、入ってくる道をつくっておこうというのです。このことを統一教会がするのです。
皆さん、霊界がどれほど大きいか分かりますか。霊界にはどれほど大きな人口があるのか考えてみましたか。今霊通する人たちが言うのを聞けば、一人に対して3320名余りの霊人たちがついて回ると計算しています。私たちの側にそのようにいると考える時、地上に負けるでしょうか、勝つでしょうか。
霊人たちが原子爆弾を恐がりますか。それと同様に、皆さんも銃弾を恐がらずに、原子爆弾を恐がらず、国を恐がらなければ、絶対負けないのです。間違いなく勝利するのです。超越しなければなりません。皆さん反対しますが、行けと言いながら、私は後ろにぴったりとついて行って、みな行った後に門を閉ざして私が主人の役事をするというのです。みな過ぎれば門を閉ざしてしまうのです。そのように考えながら、今戦っているというのです。