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第6章 地上人の霊界入籍 : 第二節 霊界での入籍 : 3. 入籍の条件 |
堕落とは何かというと、み言と実体と心情の因縁が離れてしまったことです。ですから、皆さんがみ言を知って、み言を実践しなければなりません。み言を実践するには、父母の心情を備えて動いていかなければなりません。蕩減復帰をすることができる実体的な行動を経た者となって、初めて祝福してやることができます。口先だけではいけません。こうして、天の一族、言い換えればこの国の生命体になるのです。
私たちの生命現象において、霊形体と生命体と生霊体があります。これらは霊界の反応的な現象なので、この世で霊形体、生命体、生霊体と同様の因縁を経るのです。生霊体になればそこに入籍して、自分の位置を見つけて入るのが復帰の路程です。ですから今からは、皆さんが入籍するのです。
もしそのようにつながって入籍された場合には、皆さんがいくら過って、いくら失敗をしたとしても、サタン世界で立てた法をもっては、処理できないようになります。アメリカ人たちを韓国の国法をもって処理することができますか。国籍が違うからできません。
そのような圏内に入れば、この圏内の法だけが適用されるようになります。ですからサタン世界の法は、いったん越えさえすれば、いくらどのようにしても適用されないのです。サタン世界の法が適用されないのですから、結局はこの世の法をもってしてはいけないということです。ですから、地獄には行かないようになるのです。
人は一度生まれたら、一度は死ななければならないのです。それは公式です。では、死んでどこに行くのですか。皆さんは、霊人体があるということを知っています。その霊人体が育たなければならないのです。
これから、皆さんにとって問題となることが何かというと、時が来れば全体が自分の自叙伝を書かなければならないということです。教会に入ってきて何をしたか。その記録の内容が何かというのです。ここにおいて、どこかの会社に就職して生活したといった内容は、何の条件にもならないのです。かえって、教会に入って会社にいたという事実は、恥ずかしいことです。今にそういう時が来ます。
皆さん、これから入籍ということが起こります。南北が統一されれば、入籍をしなければならないのです。氏族的メシヤという言葉が問題なのではありません。その内容と事実が問題なのです。そのようなすべてのみ言の内容が、今後自分が永遠の道を行くための蕩減条件になるのです。あの世に行って、皆さんがこの道を行くために心で体恤しながらどれほど努力したか、努力だけでなく実績をどれほど残したかということが問題になるのです。
救いの道というものは、今まで生きてきたそのままの習慣的生活を通じて得ることができるものではありません。完全に蕩減の道を行かなければならないのです。救いの摂理は復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。それゆえ再創造されるためには、堕落する前と同様に、本然の位置、ゼロの位置に入らなければならないのです。
そこには、意識もなく習慣もなく、金氏とか李氏とか、自分の姓もないのです。そのようなゼロの位置に入らなければなりません。天の創造本然の基準から見れば、造られたすべての万物はゼロから出発したのです。
ところで、人間が堕落することによって、天の国へ行く道に反することが人間世界にあふれているのです。これを払いのけてしまわなければなりません。これを切ってしまわなければなりません。それは言葉ではできません。すべての民族がサタンの愛を中心として、サタンの生命、サタンの血統と因縁を結んで歩んできた歴史的文化背景の中で、様々な習慣、あるいは風習がごちゃごちゃとあふれているために、これはそのままでは除去されないのです。
聖書に「死のうとする者は生きる」とあるのです。歴史的な論理がそれで成立するのです。死のうとしてこそ生きるのです。自分の生命を投入しなければならないのです。それで、このすべてを洗濯して、言い換えれば、蕩減して、復帰しなければならないのです。そのような過程が絶対に必要なのです。堕落世界で所有していた習慣性とか、罪悪性が残っている限り、神様と関係を結ぶことができないのです。
皆さんが霊界に行くとき、一週間以上神様のために断食ができなければ、あの世に行って入籍ができません。神様は、六千年の復帰歴史路程で苦労されたので、それを考えながら断食をしなければならないのです。それで統一教会では、7日断食期間があります。それは皆さんを苦労させようというのではなく、神様の前に肉身を打ったという条件を立てさせるためなのです。
私たちはどのように暮らすべきでしょうか。その方法は、個人は家庭、家庭は氏族、氏族は民族、民族は国家、国家は世界、世界は天地、天地は神様のために、神様の愛のために生きることです。このように生きて、死んでいくのです。私たちは違うのです。伝統がしっかりと立っているのです。伝統を立てなければ、あの世に行って入籍するところがありません。あの世がそのような組織になっているから、それに合わせなければ、入籍することができないのです。堕落していない本来の人として再現して、帰らなければなりません。そのような人にならなければ、入れません。これが原理観です。
皆さんは、天国に入籍をしなければいけません。アブラハムは神様の側に行くために、祭壇の上に自分と共に万物を捧げました。万物を失ったためにそれを復帰の条件とし、人を失ったためにアベルの位置に立って、万物をアベルの立場に立ててカインに条件を立てさせ、神様に捧げるのです。そのようにして初めて、神様は受け入れてくださいます。