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第6章 地上人の霊界入籍 : 第二節 霊界での入籍 : 1. 霊界にもって行く贈り物 |
女性が美人として生まれたら、間違いなく外的について行くのです。醜い女性は、外的に行くのではなく、内的に行くようになっているのです。外的に行けば行くほど、サタン世界に染まったサタンのぼろぎれになりますが、内的に行くようになれば、神側に近づきます。内的に行くすべを知る人は、外的な側にも思いどおりに行くことができますが、外的な側に行った人たちは、内的な側に絶対に来ることができないのです。
では皆さんは、どのような人になるのでしょうか。内的世界にも入るすべを知り、外的世界にも出て行くすべを知り、また、出ては入ってくるすべも知り、東西南北訪ねていくことができる人になるのが理想的です。内的世界が主体になって、外的世界を支配することができる人たちをつくろうということです。
外的世界は悪が侵犯したために、その世界に行けば地獄に行き、内的世界に行けば、善なる霊界である天国に行くのです。この外的世界と内的世界を自由に往来することができれば、地獄にも行くことができ、天国にも行くことができるということなのです。それを知っているがゆえに、どこに行っても歓迎される者になってみようというのが、先生の主張です。それが神様の主張です。
神様は地獄に自由に行くことができます。手続きを踏まないで行くことができます。また、天国の王宮に行くのにも、手続きを踏まずに行かれます。どこでも思いどおりに行かれます。
霊界の神様の前に行くときに、もって行く贈り物は何ですか。それはお金でもなく、学士、博士の名誉でもありません。自分の愛する夫がいいとか、豊かに暮らしているとか、そのようなことではありません。そのようなものは贈り物にはならないというのです。そこには世界のため、神様のための愛をもっていかなければなりません。それが残るのです。ヨハネによる福音書第3章16節に「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して」と、神様が世の中を愛するとあります。それで、ひとり子を与えてくださいました。ひとり子は、世の中を愛するために来た人です。
それゆえ、愛を中心として信ずれば、滅びないのです。救われるのです。主人が世界を愛するので、世界を共に愛さなければならないということなのです。今日のキリスト教は、教派の名で全部離れていきました。世界がどうで、神様がどうでということは考えもしないのです。自分の教派と自分の国だけを愛して滅びていくこのキリスト教を眺めるとき、私たちは教派を超えて、国を超えて世界を愛し、神様を愛さなければならないのです。
いくら殺人強盗だとしても、証拠物がないときは、判事でもどうすることもできません。強盗が「私が殺人したのをいつ見たか?」と立ち上がれば、どうしようもないのです。しかしながら、証拠を突き付けられれば身動きもできません。証拠がなければ証拠を探さなければなりません。賛美歌に「イエス、イエス、信じることは、もらった証拠が多い」という句があります。皆さんは、もらった証拠がありますか。もらったと威張って伝道に出るものの、そのようなものが証拠だと思いますか。そのような証拠をもって何をしますか。伝道して残った人もいなければ、何の関係もないということです。
皆さんは、天国に行くときに贈り物としてもって行く物がありますか。霊界に行けば、殉教した功臣たちが前にずらりと並んでいるのに、彼らの前に皆さんがもっていった風呂敷を開いて見せることができるでしょうか。大した物でもないのに開いて見せることができるでしょうか。皆さんがどのような苦労をしましたか。それぐらいの苦労をしただけで、どうして国のためだ、世界のためだと言えるでしょうか。「苦労するにはしましたが、私は苦労したと思いません」。それでこそ当然なのです。まだ行くべき道が残っています。霊界に行って風呂敷を解いて「これは一生の間私が用意した贈り物ですので、お受け取りくださいませ」と言えなければならないのです。女性たちが嫁に行くときは、荷物をしっかりと持って行きながら、天国に行くときは手ぶらで体だけ行くことができますか。
皆さんは、自身を絶対視しなければなりません。そうして、その絶対的な価値によってなされるという決意をもたなければなりません。これが任命された者の責任なのです。その責任を果たせなければ、乞食よりもっとかわいそうです。乞食たちは時が来れば、もらってでもご飯を食べますが、責任を果たせない人は、時間に合わせてご飯も食べられないのです。
このような責任を完遂するのに、神様が10年間でしろと言ったなら、10年間、忠誠と精誠を尽くさなければなりません。歴史を輝かすことができる子女の道を、価値ある道として復帰してくるその期間を、どのように短縮させますか。神様が計画した10年という期間を7年に短縮させるためには、自分の汗が必要であり、自分の血が必要であり、自分の努力が必要であり、自分の苦労が必要なのです。その消耗の代価を通じて量と質をそこに補充しなくては、国家的、世界的な版図を収拾することができないのです。皆さんは、このような責任を負って行く人たちにならなければなりません。
そのような時代が来たのです。既に基礎を築いて、外部工事はみな終わり、これからは装飾をする時代です。内部装飾は、主人の手が必要なため、私がいなければいけないのです。壁などは直接関係がありませんが、直接関係してくる、必要とされるすべての与件を備えるためには、必ず段階的期間が必要です。それゆえ、準備時代、実践時代、成就時代があるのです。
自分の生涯を、時期に合わせて計画し実践して行かなければなりません。準備時代には、あらゆる精誠を尽くして準備し、実践時代にはあらゆる精誠を尽くして実践し、成就時代にはあらゆる精誠を尽くして成就しなければなりません。それでこそ、内部装飾がうまくいくのです。この装飾は誰が見てもその精巧さにおいて、精誠を込めた度数がずば抜けていると言われなければなりません。
ですから、皆さんはみ旨の世界において、準備時代が来て「準備しなさい」と言う任命を受ければ、準備しなければいけないのです。その次には、実践時代が来ます。その時は、昼夜を問わず実践をしなければなりません。その次には成就時代が来ますが、その成就時代は希望が宿る時期なのです。