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第6章 地上人の霊界入籍 : 第一節 人生の結実と審判 : 2. 人生の審判 |
怨讐を愛さなくては、行くことができない道が原理の道であるということをご存じの神様が、終わりの日に審判を通じて世界人類を滅ぼされるでしょうか。違います。神様は、人間に対しては、父母の立場におられます。今日キリスト教でいう、いわゆる火の審判というものは、言葉そのままの火の審判ではないのです。
師弟の間でも、先生が守るべき法があり、弟子が守るべき法があるのです。私たちの教会でも先生が守るべき法があり、皆さんが守るべき法があるということを知るべきです。ですからみ言に対する審判は、み言を聞いている皆さんが受けるということです。み言を誤って聞けば、審判を受けるのです。
その次には、実体を成すのです。実体を成すべきなのに、実体を成すための活動ができなければ実体審判があるのです。審判には、み言の審判があり、実体の審判があり、心情の審判があります。三大審判過程を経なければならないのです。
まず、原理のみ言が審判し、その次には実体の審判をするのです。誰が審判するのでしょうか。伝道やいろいろな活動を熱心にし、すべての法度を守り実体を成した人たちが、審判するのです。一生懸命にした人たちが審判するのです。それが審判なのです。み言どおりにしないときはサタンも審判するのです。他人が、実体が、讒訴するのです。皆さんは、先生が審判し、教会の幹部たちが審判し、み旨に従ってきた人たちが審判するのです。
皆さんは、どのように行くべきなのでしょうか。サタン世界で食口を経て、先生の認定を受けて、霊界を経て、神様のところに行くのです。それが行くべき道であり、法です。そのように行くのが正しい方向です。
讒訴条件があれば、これが合わさって、実体的に讒訴するのです。実体審判なのです。そこには嘘が通じますか。しかたなくするのは、しないのと同じです。神様と先生を思いながらその仕事をすれば、神様の中身が、その中に刻み込まれるのです。栗のいがに中身が入っているのと同じようにです。このように心の中で神様を思い、先生を思えば、先生のみ言が、神様のみ言が中身になるのです。皆さん、そうですか。
皆さんは、神様と先生と食口たちが歓迎し得る人になるべきです。それで皆さんは、むいてみたとたん栗の実のようでなければなりません。私たちは神様のために、真の父母のためにそうならなければなりません。そのような仕事をするのです。霊界に行って、神様のために、真の父母を中心として生活しようとするならば、ここで拍子が合わなければなりません。それでこそ調和するのです。
それゆえ、恐ろしい実体判断を受ける過程を経なければならないのです。これが法です。このようになる日には、心情的基盤が自動的に生じるのです。皆さんが熱心に伝道したり苦労しているのに、なぜ悪口を言われて迫害されるのでしょうか。それは皆さんには心情がないので、心情を探すためです。愛を探すためです。そのような人たちを愛することができる人になるためなのです。皆さんがこのような訓練を経ないことには、いくら天の人になろうとしてもだめなのです。言い換えれば、サタン世界の愛以上の愛を、自分が見つけなければならないのです。そうでなければ、天国に行けないのです。愛を探し求め、天国に行こうとそうするのです。愛を探し当てた人が、天国に行くのです。
その時の審判主は誰でしょうか。神様が審判主になり、イエス様が審判主になり、先生が審判主になるでしょう。ですから実践しなければなりません。これが私たちの当面の課業であり、神様の命令だという事実を知るべきです。