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第5章 メシヤと霊界 : 第二節 先生と霊界 : 4. 残すべきものは愛のみ |
先生があらゆることを調べ、霊界の裏道まで訪ね歩いて調べてみたら、天地の道理は簡単なものでした。真理が簡単なのです。二人が絶対的力で合わさって、真空状態になったところに神様が入ってこられ骨髄のような芯になるのです。ここに、男性の愛と女性の愛のふたつのかけらがピッタリとくっつくのです。これが宇宙の核です。愛の理想的実体が合わさって愛の軸となるのです。
先生は霊界に対してたくさん知っていますが、霊界の話はあまりしないのです。霊界を知ると、狂ってしまう人が多いのです。特に女性たちは「あんな夫と長生きする必要なんてない。早く天国にでも行ったほうが良い。ああ早く天国に行きたい」と言うことでしょう。しかし夫を教育して、率いなければ天国へ行くことはできません。
先生は、霊的体験をしてもあまり話しません。体験があるのかないのか、皆さんはよく分からないのです。それをどのようにするのでしょうか。真理で調整しなければなりません。これは、これこれこうであるために、このようになるのであると言いながら、中庸の道を行くのです。そうしていつも天の摂理観に方向を一致させることによって霊界の発展をもたらすことができ、地上世界の発展をもたらすことができると見るのです。
そうするには、霊的世界がどのように動いており、真理とどのような関係で結ばれるのかを知った上で霊界と関係を結ぶことを生活化しなければなりません。神霊と真理が必ず一つにならなければならないのです。この調和が取れていなければなりません。なぜそうなのかと言うと、私たち人間自体がそのようになっているからです。
先生について来る中で、霊界に行った人たちがたくさんいます。先生に従う人たちを、そのソ連の衛星国家、ソ連の重要都市に浸透させておきました。ある時は、宣教活動をしていて死刑宣告を受けたという報告も聞きました。そのような報告を聞いた指導者の心は、深刻なものです。子供が病気で寝込んでいたとしても、その寝込んだ子供を心配するようになっていないのです。彼らが私を尊敬するのは、世界を尊敬することなのです。彼らのために涙を流してあげるべきであり、心配をしてあげるべき立場に立っているのです。それゆえ、先生は平安な生活ができないのです。
私が越えるべき峠を越え、私が果たすべき責任を果たすためには、休もうにも休むことができず、止まろうにも止まることができません。そのように走っているうちにこのような年になったのです。しかし、心は今からまた始めなければならないと言うのです。そのようにして霊界に行くのです。
そのように生きている生活の裏に、何を残すのでしょうか。人類を愛したということです。他の何ものでもありません。国を愛したということ、教会を愛したということ、それ以外に残し得る何かがあったとすれば、それは滅びる歴史と共に流れ去ることでしょう。