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第5章 メシヤと霊界 : 第一節 メシヤと霊界 : 1. イエス様と霊界 |
イエス様は、洗礼ヨハネの使命を果たす路程で、十字架を背負って亡くなられました。ですから、息子の使命を果たすことができませんでした。イエス様は、亡くなられてから今までどのようなことをしたかと言うと、天使長を探しました。その次に、息子の道を行かなければならないのです。それゆえ、僕として行くべき道と、養子が行くべき道を探すのです。直系の息子の使命を果たすことができなかったのです。天使長の道、僕の道と養子の道を歩んだのです。
それゆえ、イエス様を信じてもせいぜい養子にしかなれないのです。この養子は血筋が違う立場にあるカインと同じ存在です。血筋を連結させない因縁が天使長級です。今まで摂理歴史は、その血筋をつなげるための戦いをしてきているのです。
イエス様は、十字架で息子として死んだのではないのです。イエス様が霊と肉が一つになった息子の立場で、神様の前に勝利の基盤で捧げられる立場で祭物になっていたなら、再臨する必要がありません。イエス様は完全に捧げることができませんでした。半分しか捧げられなかったのです。体は失ってしまい、霊だけ捧げられたのです。これは、霊界の天使世界と似たり寄ったりです。それゆえ、キリスト教を信じていく人たちは天国には入れず、楽園級以下の霊界に行って待つのです。すなわち、天使長が支配する霊界、天使長圏に該当するのです。
ですから霊界での勝利の保護圏として、地上に勝利の保護圏をつくっておかなければなりません。それを継承させるのが神様のみ旨であり、イエス様が生まれて死んだみ旨であるために、キリスト教は霊界の勝利圏と地上の勝利圏を一遍に探し立てて、天使長圏を継承しなければならないのです。これがキリスト教の使命です。キリスト教では、実体的完成があり得ません。霊的完成だけがあるのです。それでキリスト教は、霊界を主にしてきたのです。
ですから再び来られる主は、霊界の天使長圏を屈服させ得る権限をもたなければなりません。それがなくては、地上での出発を見ることができないのです。再び来られる主は、霊界で勝利したイエス様と全体の霊的世界を継承する立場で来なければなりません。洗礼ヨハネは、イエス様に霊を中心として継承はしましたが、その約束どおりできなくて分かれたのです。それで、これを再度成すためにキリスト教を立ててきたのです。
イエス様はこの地上で十字架に亡くなったことだけでも無念なのに、死んで3日間どこへ行っていましたか。地獄に行っていました。それが試験です。人間にとっては死が最高の恐怖なのに、イエス様にとっては、地獄に行くのが最高の恐怖の対象であるのです。ではイエス様は、その地獄で恐怖の主人になったでしょうか、幸福の主人になったでしょうか。その問題について見るとき、イエス様には3日間地獄に行って苦痛を克服するための試練があったのです。
神様は公平であられるので、メシヤは、人類の前に現れるとき平等な思想をもって来るのです。メシヤは堕落した人間を全部救うための救い主として来るので、どのような人間でもすくってやるために公平に対してくれるのです。公平な目的と、公平な時代的環境をもって来ます。それゆえ、メシヤと一つになる人は、メシヤの弟子になることができます。
メシヤは、人間の世の中のいちばん地獄から、いちばん栄光の立場まで行くという言葉が成立します。人類の救いのために、生命を差し出して行けない所がないと言う結論出てきます。
このような原理で見ると、メシヤが雲に乗って空中に来るというのは、みな荒唐無稽なのです。真っ赤な嘘です。そのようにしては来ないのです。そのようなことを言う人は、霊界も何も分からない人です。レバレンド・ムーンが教えることが事実であるかどうか、霊界に行ってみなさいというのです。死んでみなさいというのです。メシヤはそのような公式によって動くのです。「なぜ、霊人たちが人間の世の中と接しようとするのか?」これが今まで分からなかったのです。地で解決しなければ完成の道を行くことができないからです。優れた人も、劣った人も、この法度にみな引っかかっているのです。
このようにメシヤと共に霊界を全部開いていくのです。これを成すには、地上に相対関係が成されなければなりません。ですから、メシヤの個人時代があり、メシヤの家庭時代があり、氏族時代があり、世界時代があり、その次に、霊界までつながるのです。地上で個人勝利基盤、家庭勝利基盤、氏族勝利基盤、民族勝利基盤、国家勝利基盤、世界勝利基盤まで築かなければなりません。すべての霊界を地上に動員するのです。中心を探していくためには、メシヤが世の中に来て、苦労しながら行かなければなりません。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、このように復帰しなければなりません。それで今、人々が一つの目的点を、一つの世界を探して入るようになります。