第4章 天国 : 第一節 天国に対する理解 : 2. キリスト教と天国

 教会に何百年通ったとしても、自分を中心とする心をもって通えば天国に行くことはできません。救いを受けられません。真の宗教がどのような宗教かということを知らなければならず、真の人がどのような人かということを知らなければならず、真の国がどのような国かということを知らなければなりません。

 霊界に行ってみれば、昔殉教した信徒たちの中で「私がこのように殉教すれば、天国に行けるだろう」と言った人たちは、天国に行けなかったというのです。反対に「天の父が私を訪ねて来るために受難の道を歩まれ、血を流されたのだ。主に恩返しするためにはどのような道でも行く」と言いながら、「その恩返しができる立場で、私が同参することのできる栄光の一時を迎えたのが、どれほど有り難いか」と言いながら死んだ人は、間違いなく天国に行ったというのです。そのような人は、自分のために死んだのではなく、天と地のために死んだのです。「私がこのように信じて死ねば、天国へ行くだろう」と言って死んだなら、それは自分のために死んだのです。堕落した人間は、自分を主張しては、絶対に天国へ行くことができないのです。

 聖書では「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一の戒めである」(マタイ22・37,38)と言っています。これに引っかかる人は天国に入れません。二番目の戒めは何ですか。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(同22・39)と言っています。神様を第一に愛し、隣人を第二に愛する人が真の孝行者です。

 キリスト教でいうように、イエス様を信じれば天国に行けますか。とんでもありません。イエス様ご自身も相対理想を成さなければならないのです。イエス様お一人で真の愛を成すことができますか。神様も成せなかったのです。ですから、再び来なければなりません。しかし、雲に乗って来てできるでしょうか。今は現実的内容をみな目で確かめることができ、測ることができるこの民族が私について来るようになっています。

 今日キリスト教を信じる人たちは、イエス様を信じれば救われて天国へ行くと言います。天国に行くのに、みな一人で行くと言うでしょう。「自分の父や母を連れて天国へ行く」と言う人は少ないのです。これからは宗教が個人の救いのみを主張してはいけません。神様が立てられた真の宗教ならば、宇宙的で最後まで残ることのできる宗教にならなければなりません。
 人類が願う最後の宗教があるなら、その宗教は個人だけを天国に行かせるのがみ旨だとはいわないでしょう。天国を個人にだけ紹介してはいけません。父と母にも紹介しなければなりません。そのように紹介して、族長までその内容を知るようになれば一遍について入るようになるのです。