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第4章 天国 : 第一節 天国に対する理解 : 1. 天国の所在 |
聖書に「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ17・21)とあります。天国はこの世界の果てにあるのではなく私の心にあります。その心がとどまるところはどのようなところでしょうか。死のすべての要素を内包しているところではなく、それを克服して一つの生命が波及し得るところです。
それで天国は心から始まるのです。心のどこからでしょうか。この世に勝った心から始まるのです。いくら環境的に天国ができたとしても自分の心が悪で、天国を描くことができず、そこに動ずることができない立場にいるなら、天国が来てもそれは役に立たないものです。
それゆえ天国を迎えることができる基盤になるのは、環境ではなく、自分自身です。自分自身が問題です。天国を維持することができる支柱、その支柱の一点がどこかというと、環境よりも自分の心なのです。
イエス様に従っていた弟子たちが現実を清算できない立場で、来るべき将来の天国を中心として幸福の基盤を確保しようと世界的な権威と出世意識をもっているのを見て、イエス様はその根本を撃破してしまいなさいという意味で、「神の国はあなたがたのただ中にある」と言ったのです。心の天国を描くことのできない人は、天国の環境になっても、その天国を動かすことができないのです。心で決心できなくては、完全な行動をすることはできません。完全な決心から完全な行動が生じるのです。
それゆえ、自分の心が善にどれほど憧れるかが問題です。歴史的善に憧れながらその善と同行するために、いくら血のにじむような環境があったとしてもそれを克服し、いくら孤独な環境の中で闘争の路程があったとしても、それを避けていくのではなく、撃破していくという心で、不変の道を開拓しなければなりません。その心に一体となり得る体の生活環境を開拓すると決意して誓うところから天国が始まるのであって、心と体が別々に行動するところに天国があるのではありません。心と体が一体となったところから、天国の方向に向かった前進が繰り広げられるのであって、心と行動が分かれるところには天国はできません。そのような観点でイエス様は心と体が一致し得る内容をもって、左右に傾く環境を除去しながら前進できる主体性を備えてこそ、天国を迎えるようになるという事実を教えてくれたのです。天国は他人によって来るのではありません。自分から来るようにするのです。私たちは堕落した人間であるため、自分を否定しなければなりません。
自分自身がこれを提示できないようになるときには、他の人に提示させるでしょう。そうなれば、私は天国を提示した人と一つになってこそ天国に行くことができるのです。ついて行かなければなりません。絶対的に歩調を合わせなければなりません。彼が東に行けば、自分も東に行かなければなりません。彼が東に行くのに自分は西に行く、彼がこのようにしたが、そのようにはできないという心をもってはいけません。そこに批判があってはいけないのです。
天国は自分の心にあると言いましたが、その天国というのはどのようなところでしょうか。神様の愛が中心となっているところです。神様の愛を中心とした環境圏を設定したところが天国です。それではその圏に行ってとどまる人は、どのような人でなければならないのでしょうか。神様の愛の本質と和合することのできる人でなければなりません。そのような人以外には行くことはできないのです。
神様の愛の本質と和合することのできる人はどのような人でしょうか。自分を中心にする人は価値がありません。相手のために自分の生命を投入し、自分のすべての精誠を投入し、自分のすべてのものを投入しながら与えようとする人のみが、神様の愛の圏内に存続することができるのです。歴史上の偉人もそうしたし、聖人もそうしました。