第3章 霊界 : 第三節 霊界の内容と状況 : 7. 霊界は心情の世界

(1)霊界は愛中心の暮らし
 霊界はどのような組織になっているでしょうか。あの世では空気は愛からなっています。愛が空気になっています。心と体が地上で、このような愛の感触を受けて和することができる要素を体恤しなければなりません。体恤圏をつくっておくようになれば、ただそのまま通じないところがないというのです。愛を通じてそうなるのです。木の樹液が木の芽と木の根と通じるように、神様と通じるというのです。神様が喜ぶのを自然に自分が感じるというのです。東方に向かって、神様の宴が繰り広げられるということが分かるのです。

 霊界には、愛のネジがあります。愛の機械があれば、軸があります。モーターで言えば、回るモーターの軸があるというのです。軸を全部解けば愛です。
 回るのも愛のために回るのです。その秩序の調和というものは、心配する必要がないのです。本質的な愛を中心として生きていけば、その世界はどこに行っても細胞と同じです。

 霊界で呼吸することができる空気は愛です。愛の道理を満たしてこそ、神様が歴史時代に願った希望を実体として完成したという格をもつようになり、天国のどこへ行っても歓迎されるのです。ですから、皆さんの家庭は天国が行くことができる訓練所です。修練所なのです。そこには、おじいさん、おばあさんのような人も暮らします。拡大すれば全く同じなのです。お母さん、お父さんの年齢級、自分の夫、妻の年齢級、息子・娘の年齢級を拡大させたのです。家庭で修練されたものを四方に拡大して為にすることができる愛の圏をもって生きる人は、天国に行くことができます。家庭は天国に直行することができる修練所です。ケープ・ケネディ・タウンのように、人工衛星を飛ばす基地のような所です。このように、愛の原子爆弾を、愛の衛星を撃つことができる基盤が、皆さんの家庭なのです。

 あの世では、霊人たちが愛を中心として暮らします。それゆえ、愛の福をたくさん分けてあげなさいというのです。そこには涙が流れなければなりません。
 人は、良い時にも悪い時にも、必ず涙が出ます。笑うのは目を開けて笑いますが、泣くのは目を閉じて泣きます。笑うときも、あまりにも笑うと涙が出ます。顔の形は別に差がありません。目は一つの差です。

 宇宙の核、愛の核がどこにあるのでしょうか。愛の核があります。前にアメリカでユプシロン(Upsilon)という一つの素粒子は発見しましたが、その素粒子に人間の能力では接近することができないといいました。それを見ると、霊界を自動的に公認すべき段階に入ってくるのです。
 驚くべき事実です。科学的に証明されなければなりませんが、そのようにできないのは一つの良い契機ではないかと見たのです。それゆえ、それが四次元世界の起源を備えたのです。自動的に物質の世界が限界線に来ることで、霊界が明らかになるのです。限界線があるのではないのです。霊界と私たちの心の中に限界がありますか。私たちの心も霊界と同じです。程度の差はありますが、同様の感覚があるために、霊物だというのです。

 私たちが霊界に行くようになると、いくら遠い所にいる人でも、真の愛の力で瞬く間に会うことができます。また、いくら遠くにいる人でも、愛のために訪ねていくときは、瞬く間に故郷に帰って行くことができるのです。
 霊界は、無限に膨大な世界ですが、何百万里、何千万里の距離も、瞬く間に愛を中心として行き来することができる世界です。
 愛は、最高に速い速度を出すことができます。しかし、皆さんの心と体が統一的愛の基台をもてないときには、その世界と自分は関係がないのです。ですから、統一の起源は相対世界から起こるのではなく、自分から始まります。

(2)霊界は心情主義
 霊界はどのようなところでしょうか。霊界について話せば精神病者だと言われるので話をしないようにしていますが、霊界はどのような世界でしょうか。神様の心情と同級に立つことができる心情をもてば、何でも可能な、そのような世界です。
 心情の世界は、無限な幸福の世界です。しかし、その下では千段万段の訓練の段階を踏んで、教育を受けなければなりません。無限の試練を受けていきながら、一段階、一段階、何億万年もかかって行かなければならないのです。誰でもそのような運命の歩みを行くべきなのです。西洋人も東洋人も誰もが行かなければなりません。自分のために涙を流す人ではなく、人のために涙を流す人でなければなりません。
 それゆえ、まごまごしないで「さあ、反対してみなさい。私は死んでも行く。この心情の中で死ぬ」と立ち向かい、「お前が死んでも、私の心情が生きている限り、私は殺せない。私は霊界にこの心情をもっていき、接ぎ木するだろう」と言い、「お前が神様の心情圏を侵犯する。サタンの心情圏を侵犯することはできるが、神様の心情圏を侵犯できないのが天理の原則ではないか?」と神様の側から言うのです。
 サタンは、サタン世界の心情圏は主管しますが、天の心情圏は主管することができないのです。
 ですから神様の心情圏を中心として、サタン世界を同化させてきたとすれば、霊界も同化されると見るのです。そのようになれば天国の王国になり、東西南北十二の真珠門の中のどの真珠門を通っても、妨げる者がいないのです。みな歓迎するのです。
 なぜそのようになるのでしょうか。天国の心情を通じれば、どこでも一つになることができ、どこでも全部和することができるためです。

 世の中の「主義」というものは、良心基準で意識革命の段階になるかもしれませんが、これからは宿命的に勝利することができ、最終的に勝利することができるものが出てこなければなりません。それがまさに「心情」です。
 これから、人類の心情を革命して、天道の基準を立てることができる新しい歴史観が出てこなければなりません。この歴史観を基準に、新しい人生観と世界観を創建することができる心情的な主義が出てこなければなりません。では、その主義とは何の主義でしょうか。それは心情的な人生観、心情的な世界観、心情的な宇宙観を中心としたものです。