第3章 霊界 : 第三節 霊界の内容と状況 : 6. 霊界での人間関係

 神様は天地を創造された方であり、今日この世の存在の起源になる、最も母体であられる方です。その方は、存在価値の起源です。その方がおられることで、今日この現象世界が始まりました。
 そのような絶対的な方は、ある時代に変化があったといって、変わる方ではありません。絶対的なものは変わることがありません。また、時間や空間に制限を受けることもありません。すべての制限を超越した立場に立って、すべての制限を主管される方です。そのような方が神様ですが、そればかりではありません。
 また、その方は「父」です。皆さんは「天のお父様」と呼ぶべきです。その方は皆さんを生んでくれた父です。人間が堕落したので、再び生むという言葉が必要なのであって、その方は本来皆さんを生んだ父です。肉身の父は、皆さんの橋渡しを頼んだ父です。その父は、霊界に行けば父というのではなく、お兄さんと呼ぶようになっているのです。母も、お母さんと呼ぶようにはなっていません。
 父母の根をもった人たちは神様を何と呼びますか。全部キリスト教で呼ぶように、神様を父と呼びます。一つの家の中で、おじいさんも神様を父と呼び、お父さんも神様を父と呼びます。孫もやはり神様を父と呼びます。家の中のすべてが、神様を父と呼びます。
 このように、神様は人間すべての父になられる方です。それゆえ、神様は人間に父となられ、人間は互いに兄弟になるのです。先生はときどき本当にそのようになるなら、霊界に行けば実に面白いだろうと考えます。
 人間は互いに兄弟だと言ったので、霊界でいちばん近い兄弟が誰でしょうか。霊界でいちばん近い兄弟は、横的な兄弟ではありません。この世で父子関係と兄弟関係のうち、どの関係がもっと近いですか。兄弟関係より父子関係がもっと近いから、霊界に行っても自分の父がいちばん近く、次はおじいさん、その次はおじいさんのおじいさん、またその上のおじいさんになるでしょう。そのように上がってゆけば、最後のおじいさんが誰でしょうか。その方がまさに神様です。
 それゆえ、世の中に友達がいないと寂しがることがなく、一人で暮らして死んだといって悲しがることもありません。霊界に行けば、上を見ても横を見ても、近い兄弟が無尽蔵にいます。しかし、兄弟がそのままになるのではありません。神様に父として侍ることができる特権を備えてこそ、このすべての人たちと兄弟になることができるのです。
 父を兄にして、おじいさんを兄にしたとして、気分が悪くありません。ある考えでは気分が悪いでしょう。世の中では父と呼んだのに、霊界に来たからお兄さんと呼ぶとは、お父さんはどれほど気分が悪いでしょうか。しかしながら、そのように呼ばなければなりません。
 そのような位置でだけ本家の息子になるためです。そうであるなら、本家の息子は一人しかいないはずなのに、全部が本家の息子になればどのようになるのかという思いがするでしょうが、霊界では全部本家の息子になることができます。神様を中心とすれば、全部本家の子孫になることができるのです。世の中でも、金持ちの主人が死ねば、その財産を子供に相続してやります。そのときに、本家の孫になる長男に財産を半分やって、それ以外の息子たちは、残りをもらうのが通常の礼法になっています。
 しかしながら、霊界ではそうではありません。霊界にいる霊人たちは、全部本家の子孫にならなければならないために、神様はもっておられるすべての財産を分けてやる必要がありません。それゆえ、兄弟同士が一つになれば、お兄さんのものになると同時に自分のものになるのです。
 それゆえ、兄弟同士が一つになるのが問題です。皆さんが先祖の代数を計算してみれば、代数は互いに差が出るでしょう。ところが、本家の先祖たちが完全に一つになる場合には、それ以後の後孫たちは、宇宙を相続するのです。言い換えれば、その本家の子孫を中心として、天上世界を治めるということです。

 あの世ではおばあさん、おじいさんが、皆さんよりももっと美しいのです。夢があれば、そのような世界にとどまることができるのです。そこは統一された世界であり、とても美しい世界です。自分の先祖のおじいさんが誰ですか。いちばん最初のおじいさんが誰かといえば、神様です。

 霊界に行くようになれば、男女が一つの大きな人のように見えるのです。人々はどのようなものでしょうか。皆さんは、全部一つの細胞と同じようです。全宇宙が全部男女のように見えます。そのように見えるというのです。それが合わさったのです。このように歩けば、宇宙が歩くのです。その間に入った人たちは、神様の細胞と同じです。一つの体になっているのです。