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第3章 霊界 : 第三節 霊界の内容と状況 : 5. 霊界での知識や権力の使い道 |
霊界では、お金をいくらでも造ることができるのです。知識とお金と権力は、一生において追求する価値的なものの一部にしかなりません。
教授たちの知識を千年、万年誇ることができますか。それをもって回りながら誇ることができますか。一生にとどまるのです。それが自分と共にあるのは一生の間だけです。お金もそうであり、知識もそうです。だから知識を、お金を、権力を誇ってはならないというのです。神様はそれを無価値と見ます。霊界では全部無価値なものです。
神様を知るべきです。神様は、人格的神でなければなりません。神様が漠然としてはいけません。私たち自身は具体的で、知情意を備えた人格的人間なら、その主体であられる神様も知情意を備えた人格的神なのです。
では、神様がもっている多くの属性の中で、いちばんの中心が何でしょうか。情です。愛というものです。神様も生きるために愛がいちばん必要なのです。天国は知識だけで暮らすのではありません。
皆さんが霊界を知らないからそうであって、霊界に行って知ろうとすれば、一週間あれば終わります。心を鏡のように見ることができる世界が霊界です。
霊界は、いくら優れた立派な知識人がいるとしても、彼がもっている知識を一週間以内に凌駕し得る直感の世界です。
心の光を通じて見るために、そこに関係している因縁の世界は自動的に理解されるのです。それは、情の心情を通じて見てこそ自分と相対的関係をもつとか、主体的関係をもつのであって、知識とか他の神様の属性ではだめなのです。
霊界では何億万里の距離にいる世界の人でも、愛の心が強くて、会いたいと言えば現れることができます。「どのように来たか?」と聞けば、「あなたが呼んだから現れました」と言うのです。「どれほど遠くから来たか?」と言えば、何億万里から来たと言うのです。距離を超越します。宇宙が自分の活動基地です。
ところで、その世界にない物質で首を絞めています。お金、知識、権力に首を絞められているというのです。その世界は、そのようなものは一つもありません。そこには残るものが一つもありません。この世界では、お金、知識、権力が必要ですが、その世界ではそのようなものが必要ありません。サタン世界の人々がそれを願うのです。
霊界は権力の真空地帯です。それは、皆さんがどこにも暮らせないということです。霊界のどのようなものも皆さんを歓迎せず、霊界がいくら皆さんに関心をもって一つになろうとしても、皆さんは何ももつことができません。反対的なもの、本質とは反対のもの、それは一つになることができないのです。霊界が関心をもつことができる立場と連結されません。
神様も、愛のために創造しました。神様に何がいちばん好きですかと聞いてみれば、どのように答えるでしょうか。神様は、好むものがありません。お金も必要なく、知識も必要なく、権力も必要ありません。私たち教会員たちは何が必要ですか。同様です。愛の中ではお金もあり、知識もあり、権力もあります。愛の権力が万年権力です。本当の愛が分かる人は、天上世界に行って習うものがありません。
そのような人は、いつでも神様の心の中を出たり入ったりします。神様の体を通じて、東西南北を自由に行き来することができます。これが中央停車場のようになっています。それはなぜ必要でしょうか。そこに入って出てくるときは、東西南北の力が集中するために、強力な力が出てきます。見知らぬ国も、その中央を通じて出てくるときは、高い神様と対等な位置に上がるのです。愛にはこのような偉大な力があります。
知識が何ですか。知識があるために、知ることによってすべての環境的与件を所有するようになります。知識の中でも、最高の知識である愛だけもてば、天下がみなつながります。知る人が支配者になります。知ることが力であり、力のある人が支配するという論理です。それゆえ、愛をもった人は知識が必要ありません。あの世では、習わなくてもみな分かります。
先生はそのようなことを明らかに知っているために、地上に暮らしたいという考えがありません。その膨大な世界が愛を中心として全部つながっているのです。その愛に和する神様の心情圏を所持するようになれば、すべて終わります。創造歴史は永遠に続くのです。そのような地の心に和して、自分が構想したすべてのことをすべきです。決心して命令すれば、即座に繰り広げられるというのです。