第3章 霊界 : 第三節 霊界の内容と状況 : 2. 霊界は即時に感知可能な圏

 霊界では、何でも一遍に知るようになっています。あいさつをしなくても、何千万年前に、何百万年前に生きていたなにがしという人が来るというのです。そのように早い世界です。
 先生も難しい問題に追い込まれる時、「それを乗り越える道はこれだ」と体が感じる時があります。それゆえ、いつでも焦点を合わせて、正しい心をもって歩かなければなりません。
 人に接するとき、その人を利用しようと思わず、利益を見ようと思ってはいけないというのです。そうしてはいけません。本性が一度ぺちゃんこになると、修正するのに半年から三年はかかります。ですから、行動が恐ろしいのです。そのようになれば、地獄の中のそのような地獄はありません。それを分かる人たちは最初から考えもしません。

 私たちの根源には、まだサタンの血がうごめいています。サタンの愛が自分の体に根を下ろしました。その愛が自分の生命の血筋を通して、神様を通してつづられています。そこに、百兆程度からなる細胞でできた「私」という体が生じたのです。
 サタンの血とともに生存権を維持するこの悲惨なありさまを自ら嘆き、破壊するための行動を一生の間に何百倍もするという覚悟と決意をしなければなりません。
 それなのに、この体を抱き締めて愛することができますか。お腹が空いたと、狂った犬のように歩き回ることができますか。このような体を中心として、情欲を満たすために、相手を訪ねていくことができますか。
 霊界に行くようになれば、あいさつが必要ありません。会えばさっと分かります。何千年前、何百年前の人だということが分かるというのです。今日聖書の歴史が六千年だといいますが、それは彼らが霊界を知らないからです。
 聖書の歴史は何百万年、何千万年です。その時代の私たちの先祖を呼べば、一遍に現れるのです。見れば既に、話さなくても分かるようになっています。自分のすべてが現れるようになっています。敬うべき人なのか、目下の人なのか分かるようになっています。それゆえ、あいさつが必要ありません。自動的に秩序が維持されます。
 すべての秩序は何で成されるのでしょうか。愛で成されます。愛で位が決定されるのです。それで、神様の息子・娘にならなくては、天国に行くことができません。
 神様の愛に接するためには、垂直線に入らなければなりません。聖書に「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ22/37)とあります。すべての中心は愛だというのです。それで、あらゆる作用と意識する全体を合わせて、主なる神を愛することしかないというとき、そこからエレベーターに乗って垂直圏に上がっていくのです。そのような驚くべき世界です。