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第3章 霊界 : 第二節 霊界はどのようなところか : 3. 霊界はどのようなところか |
私たちの人生が70、80年で終われば別に問題がありませんが、永遠な問題を中心として生きていくので深刻なのです。
では、霊界があり、死後に霊界に行くようになると、何をもって考えるのでしょうか。霊界は、広大な世界です。皆さんは知りませんが、広大無辺な世界です。
この地に民族間の差別があり、文化的な格差とか、相入れない生活像があります。もまれて暮らしても、自分の主張と自分の価値を残したかったことが、過ぎ去ってしまうのではなく、霊界に行っても生き生きとよみがえるのです。
今日、電気とか、宇宙とか大騒ぎするのは、愛の理想世界を成すための一つの内的な潤滑剤のようなものなのです。そうしたならば霊界というところは、愛の電気で充満した世界です。
霊界とは何でしょうか。永遠の要素を願うところです。
霊界はすべが愛で充満した、愛でいっぱいになった調和の世界です。愛のボタンを押せば、この宇宙が作動するのです。
地上天国とは何でしょうか。すべがの愛のバルブが開き、火のつくところが地上天国です。天上天国とは何でしょうか。愛のバルブが完全に開き、火がつくことのできるところが天上天国です。
それゆえ、皆さんが愛の心さえ抱いて、愛の綱を引けば、みな引かれていきます。後ろに引けば後ろに行き、横に引けば横に行きます。思うままに操縦されます。嫌でそうするのではなく、自動的にそうなるのです。
ですから、霊界というところは、「愛の空気で充満したところ」だという概念を見いだすことができます。愛の神様が愛の心で、世界の人々全部に食べさせたいし、喜ばせたいと思って、「ご飯よ、生じよ」と言えば、生じるのです。
霊界は愛の食べ物を食べます。互いに見るときも、愛の目で見るのです。その神秘さは形容できないところです。眠りたいとか、疲れたという観念はあり得ません。霊界は愛の電気で充満したところなので、今日人間は何でも愛に関係を結ぼうとします。なぜ愛の関係を結ぼうとするのでしょうか。霊界に拍子を合わせるためです。そのようになっているために、そこに応じるしかないのが私たち存在物です。その位置を離れることができません。
皆さん、夢で先生を見たというのは、神様の愛の波長を通じて現れたということです。そうするには自分があってはならないのです。自分を犠牲にして、真空状態をつくらなければなりません。真空状態になったならば、抵抗のない黄金になるとかしなければなりません。黄金というのは他の要素がないのです。純粋そのものです。黄金をなぜ宝物と言いますか。黄金は抵抗力がないのです。
宇宙は霊界の活動舞台です。この地上も霊界の活動舞台であると同時に、膨大なこの宇宙も、霊的な活動舞台です。
この地上において、そのような外的な世界、宇宙と関連を結ぶことができるということは、神様の摂理で見るとき、地上に暮らしている天国の民たちが、あの大宇宙に拡大されている数えきれないほどの先祖たちと、いつも連結することができる基準になったということを象徴的に見せてくれるのです。この外的な世界でそれを象徴的に表示するのが、衛星を通じた宇宙探索です。