第3章 霊界 : 第二節 霊界はどのようなところか : 2. 明らかに実存する霊界

 世界人類の中で、霊界を知らない人は80パーセントになります。信じる人たちも霊界があるか、神様がいらっしゃるか、はっきりと分かりません。しかし、霊界はあります。
 考えてみてください。世の中の金持ちが、これから幸福の郷を造ろうとする時、自分のすべての財産を使っても造りたい気持ちがあるように、天地創造の天の神様は自分のお住まいになるところをどのように造られたのでしょうか。
 霊界のある部分を探して凝視してみれば、千年眺めても飽きない美しい世界です。想像もできません。この世で世界一だといっても何でもありません。その霊界の一角にもなりません。ですから、この地上を所有したいのではないのです。先生に言わせれば、この地上は先生の目的にかなわないので霊界に行きたいのです。

 一般の人の大部分は、今も霊界を考えません。生まれたからただ父母に仕えて家庭に暮らす、このように生まれたからこのように暮らす、と思って暮らします。
 そのように暮らすすべての生活の中心が何でしょうか。すなわち、どのように食べて、どのように暮らすかということです。それゆえ、いちばん重要なことを衣食住ととらえます。
 どのように暮らすかという問題、どのように食べるかという問題、どのようにつくろって暮らすかという問題、これが中心です。そこには、もちろん人間関係には人倫道徳があって向上し、互いが発展して良くあり得る内容がありますが、民族が異なり、国家が異なり、世界のすべての文化背景の違いによって、道徳基準であるとか、社会制度が全部変わるのです。
 このように見るなら今日、歴史上に生きている人間たちが行くべき本然の基準、本来の基準と、今日、生活標準として立てている人倫道徳は、方向が違っています。これが一つに収拾され得ていません。
 しかし食口たちは、霊界が確実にあるといことを知っています。信じているのではなく、知っているのです。多くの体験を通じて知っているのです。今日、私たちの教会がこれほど世界的な基盤を形成するまでの背後を調べてみるとき、多くの体験過程を経てきました。それゆえ、霊界がないと言うことができない立場にいる人たちが、皆さんなのです。

 皆さんは、どのような道を行くべきでしょうか。神様が願う道に従っていかなければなりません。天意の道に従っていくのです。天意が何でしょうか。個人が行くべき天意の道があり、家庭が行くべき天意の道があります。そして、社会が、国家が、世界が、霊界が行くべき天意の道があります。その専門家が先生です。霊界は間違いなくあるのです。

 神様がいて、霊界があるなら、どのようになるでしょうか。ある人は、神様がいるとしても私たちと関係がないと思うかもしれませんが、それは考え違いをしているのです。「霊界があるとしても、私と関係がない」ということは、自分が家庭の一人として、国が必要でなく、世界が必要でないと言うのと同じなのです。
 それゆえ、もっと大きな神様がいて、もっと大きな霊界があるなら、自分はもっと大きいものと関係を結ぶことを願います。関係しているだけではなく、関係して何をするのでしょうか。一つにならなければなりません。一つの目的に向かって行かなければなりません。

 霊界がどこにありますか。皆さんの体の中にあります。ですから、霊界を背負って、侍って回るので逃げることができません。

 霊界はあります。霊界は、この世界のためにあります。この世界も永遠な世界のためにあります。世の中では、「神様がどこにいて、霊界がどこにあるのか」と言うでしょうが、神様がおられるところが霊界です。